予定
- 導入部
- 講義:マンガのリテラシー(承前)
- コマのレヴェル
コマ絵とコマ- 形喩、音喩、吹き出しとセリフ
- コマの統語法
- コマを読む方向:絵画の右と左
ショットとリヴァース・ショット参考:映画における編集
- コマのレヴェル
ただし、連休の中日ということで、出席の状況を見て、映画/ヴィデオなどの上映に切り替えるかもしれません。
講義後の補足
- 今日は予想外に皆さん出席してくれた(エライ!)ので、上記の予定に沿って進めました。ただ結構変更しましたが。
- 導入部で見せたコミュニケーションをネタにした映像は、イギリスのモンティ・パイソンというコメディ番組の一部です。
- 《手旗信号版『嵐が丘』》、《点滅信号版『ジュリアス・シーザー』》、《モールス信号版『OK牧場の決闘』》、《のろし版『紳士は金髪がお好き』》、《中央刑事裁判所(ジェスチャー・ゲーム版)》、およびテリー・ギリアムによるアニメーションは、DVD『空飛ぶモンティ・パイソン VOL.3 [DVD]』に入っています。
- モンティ・パイソンの映像は、レンタル・ヴィデオなどにもおいてあると思いますので、興味を持った人は、探してみてください。
- モンティ・パイソンについては、モンティ・パイソン - Wikipedia/空飛ぶモンティ・パイソン - Wikipedia、詳しくはPYTHONiPPON MENUやhttp://python-airways.cside.com/:TITLEなどのファン・サイト(ほかにも山程あります)を参照してください。
- 「マンガ表現論」(マンガの語り方=レトリックに注目して分析する方法)が、どのように出てきたかという話もしました。今日、持っていった本は以下の通り。
- 予定通りに映画の編集の話にすぐ入るのではなく、その前段階として、今日は映画の発明者と一般的にされているリュミエール兄弟の映画を見ながら、話をしました。次週は、映画に「編集」というものがどのように導入されたのか、「物語映画」(あるいは「古典的ハリウッド映画」)とはどういうものなのか、という話をしてから、もう一度、マンガのコマの構成に戻るつもりです。
- 次週に持っていくもの(備忘録として)
- 手塚粲の写真
- フランス語版『ドラゴン・ボール』(右開き版と左開き版)
- 浮世絵における「コマ絵」の例
質問など
- マンガ関連
- 何人かから指摘があったこと。講義では分析対象として、大友克洋『アキラ』を使っていますが、ちょうど(たまたまですが)日清カップヌードルのテレビCMで、大友克洋の作った「Freedom」というのが流されはじめました。相当、大規模なプロジェクトのようです→FREEDOM-PROJECT.JP。
- ルネサンス以降の西洋絵画では、文字(テクスト)とイメージが同居することはほとんどないと言ったところ、「バンデロール」(帯のようなものに文字が書いてあるもの)は古くからあるんじゃないかという指摘がありました。確かに中世の宗教絵画や近代でも地図などにはよく見られるものです。ただ、ルネサンス以降、近代に至るまでの絵画(とくに油絵)においては、余り使われることがないと思います。そういった意味で「ルネサンス以降」と付けたつもりでした。
- リュミエールの映画の面白さ
- 多くの人が「新鮮だった」と書いていましたが、「面白さが分からなかった」という意見もありました。現在の「映画」に関する常識からは、かけ離れたものなので、両方の評価が出てくるのは、当然だと思います。
- ただ、その中に、「驚き」ということに言及したコメントがありました。これは非常にいい着眼点だと思います。初期映画における「驚き」については、トム・ガニングという研究者が「驚きの美学:初期映画と軽々しく信じ込む(ことのない)観客」(『「新」映画理論集成〈1〉歴史・人種・ジェンダー (歴史/人種/ジェンダー)』)という論文を書いています。内容については、次週にでも触れられたら触れます。
- リュミエール兄弟や次週見せる予定のメリエス、ブライトン派、ポーターなど初期映画の映像が入ったヴィデオは、情報館にあります。詳細はまた調べておきます。
- 日本に映画が伝来したのはいつですかという質問がありました。はじめて上映されたのは、やはりリュミエール兄弟のもので、京都の稲畑勝太郎という人の協力の下、1897年に大阪で上映会が行われたようです。パリでのシネマトグラフ初上映からたった二年のことでした。ちなみにこのときは「自動写真」と言われていたようです(その後、「活動写真」と言われるようになり、そして「映画」と呼ばれるようになりました)。この辺りに興味のある人は、木下直之、山口昌男、吉田喜重編『映画伝来―シネマトグラフと〈明治の日本〉』を参照してください。
- 初期映画における「音」について
- 初期映画においては、まだ「音」を付ける技術がないため、基本的には「無声」です。ですから、今日流した映像についていた音は、その当時に流されていたと考えられる音を、あとで付けたものです。
- 当時はどうしてたかというと、ピアノ、オルガンや楽団(あるいは蓄音器)が入って、映画に合わせて演奏していました。いわゆる「サイレント映画」の時代ですね。
- その後、「トーキー」という技術が1920年代終わり頃に普及して、映像と音を同時再生することができるようになって、現在に至ります。この辺りのこと、後々話す視覚文化/聴覚文化における「複製技術」の問題とも大きく関わってくることです。
- 映画の歴史については、さまざまな文献がありますが、最近出たものでは、A・グローネマイヤー『ワールド・シネマ・ヒストリー』がコンパクトによくまとめられています。