第6週

予定

講義後の補足

  • はじめに少しだけ見せようと思っていた映像が、音声関係の問題で見せられませんでした。次週の導入部で流します。
  • ようやくマンガと映画を例にした「ヴィジュアル・リテラシーとは?」という部分が終わり、今日から新しく「記号と文化」というパートに入りました。理論的な概念もいろいろ出てきます。難しい概念も多いですが、記号論というのは、現代におけるさまざまな芸術、文化を考える上での基礎(コメントのなかにあったのですが、建築の方のクラスでも今丁度記号論をやっているそうです)となる重要なものなので、できるだけ丁寧に解説していくようにしていきます。
  • 途中でキーワードとして言った「異化」とは、いつも見慣れたようなこと(「自動化」されていること)を、文彩、修辞などの手段によって非日常的な、見慣れないものにすること(英語では「defamiliarization」)で、これこそが芸術の本性と考える人もいます。詩などで、一つの言葉は複雑に言い換えたりすることが、その例です。
    • 例として筒井康隆文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)』では、大学教員が学生に言う「おれの先週やった講義をまだ憶えているか」という自動化された平凡な言葉を、「喧噪と、やみくもな怒りの中にあるわが教え子たちよ。唇歯輔車としての君たちに対するわたし。おお、七曜前にさかのぼるそのわたしの世迷いごとからたちまちにして時間は流れた。今となって尚、君たちがその心に喚起できるわたしの言辞とはどれほどのものなのかすこぶる疑問だ」と大仰に言い換えることによる「異化」が挙げられています。
  • もう一つキーワードとして提示した「言語論的転回〔linguistic turn〕」。ローティという哲学者が言い出したことで、ソシュール言語学以降に、さまざまな人文学(哲学、歴史学社会学、文芸批評、美術史などなど)が劇的に変化したことをいいます。じゃあ、どう変化したのか。その辺りは、徐々に説明していきます。
  • 「ヴィジュアル・リテラシー」についてのまとめで、小学校における英語教育に関する一つの意見を紹介しましたが、その出典は、Archives - 内田樹の研究室の前半部です。著者の内田樹氏は、フランス文学/思想の研究者で、ここでの論をまとめると、外国語教育(あるいは古文教育)のポイントというのは、母語を「批判的にとらえ返す生産的な契機を提供してくれる」ものだそうです。僕もこの意見には、成る程と思いました。もちろん、僕は教育の専門家ではありませんので、小学校の英語教育に関してえらそうなことを言えるわけではありません。でも、何でこの話をしたかというと、以下の通りです。受講者の皆さんは、視覚的な制作物を作り出す能力--ヴィジュアル・リテラシー--においては、一般の人よりも高いはずです(芸術・デザイン・マンガ学部の学生な訳ですから)。ただ、といって、その構造を意識できているとは限らない。だから、マンガや映画や絵画の「文法」を意識的に捉えるということは、自らのヴィジュアル・リテラシーを「批判的にとらえ返す生産的な契機」になるんではないかと考えて、今の講義をおこなっているつもりです。

質問など

  • 「パラパラ・マンガ」、正確には「フリップ・ブック」の起源についての質問ですが、古くからあったようですが、ヨーロッパにおいて流行したのは19世紀のことです。アニメーションよりは古く、その原型のひとつと言われています。
  • 最近、アメリカン・コミックと日本のマンガの差異についての質問が相次いでいますが、僕自身がそんなにアメリカのコミックについて詳しい訳ではないので、もう少し調べてからお答えします。
  • 「関係ない質問ですが」と言って「ピクチャレスクってなんですか」っていう質問がありました。最近よく耳にするらしいです。確かに関係ないですが、僕の専門分野のひとつなので、お答えします。「ピクチャレスク」とは、もともとは「絵のような」という言葉ですが、18世紀のイギリスでその意味は多少変わります。単に均整のとれた優美な風景ではなく、ごつごつした不均衡なものを「ピクチャレスクだ」と呼ぶようになったものです。この趣味は大流行し、いまでもある「ゴシック趣味」というのもここから生まれてきました。これは、僕は、近代的な視覚の様態を考える上で重要なものだと考えています。「写真史」の講義で、これについては詳しく扱いますので、出席できれば出席して下さい。
  • 「漢字というのは、単なるシンボルではなく、アイコン的な文字なのではないか」という指摘がいくつかありました。確かにエジプトのヒエログリフなどといっしょで、漢字の大本は象形文字ですから、アイコン的だと言うことは出来ると思います。ただ、実際、「耳」っていう漢字を見て、耳の絵として認識する人や、「人」という字を見て人が二人寄り添っている絵を思い浮かべる人は、実際にはそうそうないし、また大部分の漢字が、会意・形声によって出来ているということを考えたら、もはやアイコンとしての性格は相当薄まり、シンボルとして機能していると考えた方がいいんじゃないかと思います。

https://satow-morihiro.hatenablog.com/


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19年度前期芸術学A視覚文化論デザイン論特講1デザイン理論特講(大学院)/a> 講演、特別講義など

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