予定
- 受講生による発表
- 第3回:立体造形分野
- 発表者=204S001
204S004 204S017204S018
セミナー後の補足
- 西洋美術における「彫刻」というものの地位の変化を前振りとして喋りました。興味ある人は、ロザリンド・クラウス「彫刻とポストモダン――展開された場における彫刻」(H・フォスター編『反美学―ポストモダンの諸相』所収)を参照して下さい。
- 発表は、二人とも、大なり小なり「場」との関係を重んじた作品でした。すなわち「自律的」なものを目指すのではなく、周りのコンテクストにおいて成り立つというもので、まさに上記のクラウスの論の延長線上にある感じがしました。
- ただ、そうなると、見せ方が難しくなっていく。展示の仕方によって。彫刻の意味が変化してしまう訳ですから。架空の宇宙人の部屋にある風呂という設定で作られた《ヘキサゴン・バス》は、展覧会の一部としては非常にはまっていました。ただ、比較的自律的な(つまり他のコンテクストでも成り立ちうる)作品だとも思いました。ほかのコンテクスト(展覧会)では、どのようなフィクションに当てはめうるのか、想像してみるのも面白いかなと考えたりもします。とくに表面を形作るセメントの質感というのが面白い訳で、先日の展覧会では、その辺りが照明のせいもあって、ちょっと伝わりにくいかなとも。思いっきり「モダン」な、表面のメディアのおもしろさを追求するような作品を目指してもいいかなとも勝手に思っております。
- 《無数の視線》は、円形に巻かれ着色された段ボールが、「額縁」を形作るというものでした。額縁の中はなにもないので、それが何を切り取るかによって変わってくる。まさにコンテクストに依存する、またはコンテクストを作り出すような、批評的な作品です。ただ、類似する試みはさまざまに行われている訳で、そのような作品とどう差異化するかが難しいところです。また額縁の「かたち」がなぜそのような形態を採っているのかがわかりにくい。上記のコンセプトだったら、単純な四角形でも、あるいはロココ時代とかの派手な額縁のかたちでもよい(あるいはそちらの方が効果的かも)訳ですから。でも円形が大小に反覆するかたち自体は面白い。コンセプチュアルにしてはかたちが魅力がありすぎるというこの二律背反をどのように解消していくかが課題かな、と思いました。