予定
- 講義
- 文化と表象の制度:幾何学的遠近法
- イメージを「読む」
- 物語とイメージ:『伊勢物語』と「八つ橋」
- 昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに」とて行きけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。
- 三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋と言ひけるは、水ゆく川の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋と言ひける。その沢のほとりの木の陰に下り居て、乾飯食ひけり。その沢にかきつばた いとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を上の句に据ゑて、旅の心を詠め」と言ひければ、詠める。
- 唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ(各句の頭の字をとれば「か・き・つ・ば・た」)
- と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落としてほとびにけり。
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- 『伊勢物語』第9段
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- 物語とイメージ:『伊勢物語』と「八つ橋」
イコノグラフィとイコノロジー
参考文献
遠近法にからんで、だまし絵(トロンプ・ルイユ)関係を
質問、コメントなど
- 備忘:このサイトについて
- 「だまし絵」の一つとして見せたマグリットの絵とそのヴァリエーションは、次週持って行きます。
- 光琳の「かきつばた図」の「杜若」という字が違うのではないかという意見がありましたが、確かに根津美術館のサイトを見たら《http://www.nezu-muse.or.jp/syuuzou/kaiga/10301.html》となっていました。すいません。訂正しておきます。でも言い訳をすると、光琳自身が《杜若図》と名付けたわけではないので、それほど厳密に考えなくてもいいかなとも思います。とはいえ、現在所蔵している施設の値付け方に従うというルールもあるので、やっぱり「燕子花」がいいですね。
- で《燕子花図》というのは『伊勢物語』に立脚したもので、それを観る人に汲み取って貰うのが光琳の意図だっただろうと思われるのですが、といってそれが「正しい」答えという訳ではありません(これを正しいというのは「意図論的アプローチ」と言われるものです)。僕も含めた最近の研究者のなかには、「誤読」――たとえば、これを一種の「抽象画」として扱うモダニズム的な見方など――をたんに間違いとして切り捨てるのではなく、その「誤読」によって、そのような「意味」が絵画に付与されるのか、どのような文脈でそういう誤読が行われるのかという点に興味を持つ人も少なくありません。