『1900年以降の美術』:1920年代
ちょっとアップするのが遅れましたが、20年代の分です。いろんなことが蠢いている時代です。
- 1920=ベルリンでダダ博が開かれる:前衛文化と文化的伝統の両極化から芸術的実践の政治化や新たなメディアとしてのフォトモンタージュの登場に至る。
- 1921=モスクワ芸術文化研究所のメンバーが構成主義を新たな集産的社会の要求に応えた論理的な実践であると位置付ける。
- 1922=ハンス・プリンツホーンが『精神病の芸術性』を公刊:「精神異常の芸術」が、パウル・クレーやマックス・エルンストによって追求される。
- 1923=もっとも影響力のあった20世紀のモダニズムの芸術/デザイン学校であるバウハウスが、ドイツのヴァイマールで、第一回の展覧会を開く。
- 1924=アンドレ・ブルトンが、『シュルレアリスム革命』の第一号を公刊し、シュルレアリスムの美学の語彙を確立する。
- コラム:シュルレアリスムの雑誌
- 1925a=パリのアール・デコ展が近代的なキッチュの誕生を公的にした一方で、ル・コルビュジエの機械美学がモダニズムの悪夢となり、アレクサンドル・ロトチェンコの〔デザインした〕労働者クラブが人間とモノの新たな関係を宣言する。
- コラム:黒いデコ
- 1925b=キュレーターのグスタフ・F・ハートラウブが、新即物主義〔ノイエ・ザッハリッヒカイト〕絵画の第一回展をマンハイムのクンストハレで開催する:国際的な「警告」の動向の一ヴァリエーションでもあるこの新たな「魔術的レアリスム」は、表現主義とダダの実践のドイツにおける終焉を宣言した。
- 1926=エル・リシツキーの《抽象芸術の部屋》とクルト・シュヴィッタースの《メルツバウ》がドイツのハノーヴァーに設営される:アーカイヴとしてのミュージアム建築とメランコリアとしてのモダニズム的な空間の寓意は、構成主義者やダダイストたちに弁証法的に理解される。
- 1927a=ルネ・マグリットは、ブリュッセルで商業芸術家として働いた後、パリでシュルレアリスム運動に加わる:そこにおいて、彼の芸術は、広告のイディオムと言語と表象の両義性とを遊んだものとなる。
- 1927b=コンスタンティン・ブランクーシが《新生児》のステンレス鋼での鋳造を作る:アメリカにおける《空間の鳥》を巡る裁判がきっかけとなって、彼の彫刻は、高級芸術という図式と工業生産物の間の闘争を勃発させる。
- 1927c=チャールズ・シーラーが、フォード社からリヴァー・ルージュ工場の記録を依頼される:北米のモダニストは、機械時代への詩的な関係を展開し、ジョージア・オキーフは、それを自然世界にまで推し進める。
- コラム:ニューヨーク近代美術館とアルフレッド・バーJr
- 1928=ウラディスラウ・ストレミンスキーが「絵画におけるユニズム」を発表し、1931年には、カタリーナ・コブロと共著した彫刻についての書、『空間の構成』が構成主義の国際化の極地を示す。
- 1929=ドイツ工作連盟主催の「映画と写真」展がシュトゥットガルトで、5月18日から7月7日まで開催され、国際的な写真の実践と論争のさまざまな様相を展示する:この展覧会は20世紀写真のクライマックスを画定し、写真の新たな批判的理論と史論の登場を示す。