講義
- ソシュールと記号学
- ランガージュ/ラング/パロール
- シニフィアン(記号表現=意味するもの)とシニフィエ(記号内容=意味されるもの)
- 言語記号の恣意性
- 恣意的記号と有契的記号の差→シンボル的記号vsアイコン的記号/インデックス的記号
- 世界を分節する記号
- 「差異」と分節
- 参考文献:フェルディナン・ド・ソシュール『ソシュール 一般言語学講義: コンスタンタンのノート』
- ロラン・バルトと文化記号学
- 神話学:外示(デノテーション)と共示(コノテーション)
- ロラン・バルト『現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)』
- 「私は理髪店にいて『パリ・マッチ』誌を一冊、手渡される。その表紙には、フランスの軍服を着た一人の若いニグロが、軍隊式の敬礼をして目を上げているが、おそらくその見つめる先には、三色旗がひるがえっているのだろう。こうしたことが映像の意味である。だが、純粋であろうがなかろうが、わたしにはその映像が私にとって何を意味しているかがよくわかる。すなわち、フランスは偉大な〈帝国〉であること、そのすべての息子らは、肌の色の区別なく、その旗に忠実に仕えるということ、いわゆる抑圧者に仕えるこの黒人の熱意ほど、いわゆる植民地主義を非難する人たちに対する最良の応答はないということ。それゆえ、わたしはここでもまた、価値の高められた記号体系を目の前にしていることになる。すでに、前提となる体系(「フランス軍隊風の敬礼をする黒人兵士」)から、それ自体形成されたシニフィアンがある。それからシニフィエがある(ここではそれは、フランス性と軍隊性の意図的な混合である)。そして最後に、シニフィアンをつうじての、シニフィエの現前がある(バルト前掲書)」。
- 二重の記号体系:「薔薇」という記号は、「bara」という音(シニフィアン)と「茎に棘があって、複雑な花弁を持つ植物」という概念(シニフィエ)から成り立つが、その「薔薇」という(喋られた/書かれた)記号自体がシニフィアンとなって、たとえば「情熱」というメタ・レヴェルでのシニフィエを指す場合。
- 同「広告のメッセージ」『記号学の冒険』
- 「アストラで黄金の料理を」という広告の場合:共示が外示を隠蔽する
- 同「映像の修辞学」『第三の意味―映像と演劇と音楽と』:パンザーニ社の広告の分析
- ロラン・バルト『現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)』
- 神話学:外示(デノテーション)と共示(コノテーション)