アーバンポップ論C(プロジェクトワーク演習1)四日目

小松先生からの返事

  • 音と声の差異は学問的に議論されるのか?
    • 音の声の差異はあまり議論されていないが、「音楽」と「声」の議論は結構されている。両者の発祥の共通性について、民族音楽学などでよい本がある。(小泉文夫「音楽の根源にあるもの」など)
  • 幻聴が発生するのは人間の側の問題か?
    • そのとおりです。人間の側が共通してもっている認識の傾向がたくさんあって、すべての幻聴に当てはまる分けではないですが、錯聴のパタンみたいなものが結構あります。あと、ディープな幻聴は、錯聴ではなく、精神心理からくる影響が強いものと思われます。
  • 物理的に鳴っている音に比べて電子音は音源特定が難しいのか?
    • 人間は両耳を使って音源の位置を特定しています。両耳に入る音のタイミングのズレを瞬間的に察知して、左右のどこに音源があるのかを認識します。多くの電子音(救急車の音サインやケータイ電話など)は、一つのスピーカーからしか音が出ず、しかも、機械的に信号が作られていることから、単調な音波(サイン波や矩形波など)になっています。こうした音は従来の自然界に存在することなかったので、音源特定する経験が非常に浅く、結果的に特定が難しくなっているのです。物体同士が合わさって発生する音の音色は複雑(リッチ)で、そうした音は両耳に入る時間の「ズレ」を認識しやすく、音源特定が容易なのです。
  • 「望ましい音の形成」と「サウンドスケープ」との関係性は?
    • 本来「サウンドスケープ」という考え方は(ぼくの意見ですが)「人が音風景と感じる現象や窓口」なので、そこに価値観は生じません。サウンドスケープを元にした活動をしている人の多くは、「ある種の理想的な価値観」をもっており、それが結果的に「望ましい音の形成」という解を導こうとしてしまっていると思います。多くの人にある「望ましい音の形成」の由来は、生理的(生存的)な部分から来ていると思います。人が棲む生活空間の中で、危険な状態を感じたり察知する音は、「不快」な音で、その逆は「快」だと思います。具体的に言えば、人の棲息にプラスと感じる自然現象の音は良い音と感じ、生命に危害を及ぼすと感じるすべての音は悪い音と感じるでしょう。(生理レベル、脳レベルで考えるべき深い問題ですね)
  • 音響共同体と音分裂症の関係性とは?
    • 両者に直接的な関係はないのですが、シェーファーが理想郷のように定義した「音響共同体」の文脈の中では、「音分裂症」は発生しえなかったと思います。リアル(現実的)な空間で、住民にとって共通した標識的な音が現実に鳴り響いていたわけですから。ぼくの考えでは、音分裂症という表現はシェーファーの価値観が入りすぎているし、現実の都市(地域)空間では、音響機器による音の発生はデフォルトになっているので、別の表現を使うか、むしろ積極的に肯定する言葉があってもよいのではないかと思います。あいにくその言葉をまだ思い出せないままですが・・・(笑)。
  • サウンドスケープに含まれる音を人はどのように選別しているのか?
    • おっしゃるように「脳科学」的なアプローチは必須だと思います。一つ確実に言えることは、外部から入り込む(音に限らない)情報はあまりにも多すぎるので、脳の内部で「自動的に取捨選択」されています。健全な生命維持のための「フィルター」作用があるわけです。人が受け取りたい(音)情報があれば、それ以外のものは(耳に入っていても)意識上にはのぼらないでしょうし、その音に対して異常なほど関心が高まれば、それを処理するために脳内の多くの部位が活性化し、ある種のホルモン(脳内麻薬)が、形成されると言われています。その結果「酔った」ような現象になるものと思われます。

今日の講義

    • 四日目:9/8(木) 担当:安田昌弘(人文学部准教授:ポピュラー音楽論)
      • 第10講 ポピュラー音楽と都市空間(1)
      • 第11講 ポピュラー音楽と都市空間(2)
      • 第12講 ディスカッション(進行:佐藤)
        • 終了後、懇親会Pt.2あり。

https://satow-morihiro.hatenablog.com/


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