視覚文化論 第9回

講義

  • 広告という視覚文化
    • 「欲求desire」と「欲望need」のちがい
      • 「欲求は満足することができる。でも欲望は、決して満足しない。そして人間の活動は、そのほとんどがこうした「満たされない欲望」のうえに成立している。僕たちは自分の抱えた欲望を、そのつどちょっとずつ満たしてやることで、最終解決は先送りしながら生きている。〔…〕実はこういう欲望のメカニズムは、「資本主義」システムのそれとよく似ている。いろんな問題解決を常に先送りしながら成立しているこのシステムは、その究極的な解消がありえないことが、システム成立のための重要なよりどころになっている」
      • 「いわゆる資本主義とは、交換過程の偶発的性格(交換の可能性がその場その場の個人的な欲求に依存すること)を克服するために、支払うものの欲求を身体的・生理的な領域から解放し、交換の動機付けとなる欲求〔=欲望?〕を自己創出する動的システムのことなのだ。〔…〕資本システムは広告という意味媒体によって差異を自己生産し、私たちの欲求を創出する」
    • 広告=受容者の未来の行動を指示するイメージ
      • 「広告の目的は、見る者の現実の生活に対して最大限の不満を抱かせようとするものである。その社会の生活様式への不満ではなく、自分自身の生活への不満である。この商品を買えばあなたの生活はより良くなると広告は提案する。広告は見る者により良い状態にあるもう一つの彼を示す」。
      • 「あらゆる広告は不安をかきたてる。すべてのことはお金に集約され、お金を手に入れることがその不安を克服することである。いいかえれば広告がかりたてる不安とは、何も持たなければ、自分自身も何者でもなくなってしまうという不安である」。
      • その定義からいって広告にとって現在は不十分なものである。〔……〕束の間の生命しかない広告イメージは未来形しか用いない。これを買えば、あなたは魅力的になるだろう。こうした環境で暮らせば、あなたの人間関係はすべて快調で輝かしいものになるだろう。〔……〕広告は未来形で語る。しかしその未来への到達は限りなく先へ延ばされる。それではどのようにして広告は、その広範な影響を及ぼす説得力を保つのだろうか。広告が説得力を失わないのは、広告の真実性が、その広告の約束することが本当に実現されるかによって判断されるのではなく、〈見る者=購買者〉に与える幻想がどれだけ有効性を持つかによって判断されるからである。広告は本質的に、現実とではなく白昼夢と結びつく」。

https://satow-morihiro.hatenablog.com/


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