講義
- 文化概念の変容
- 古典的定義=「教養」としての文化
- 人類学的定義=「生活の仕方の全体」
- 「意味の共有」としての文化=文化論的転回
- レイモンド・ウィリアムズ『完訳 キーワード辞典』
- 柳父章『文化 (一語の辞典)』
- 西川長夫「文化と文明ーーその起源と変容」(『〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)』)
- ジェームズ・クリフォード「文化と芸術の収集について」(『文化の窮状―二十世紀の民族誌、文学、芸術 (叢書・文化研究)』)
- イメージ/モノ/コトバとコンテクスト
- イギリスのユース・サブカルチャー→スタイルを通じた反抗
- サブカルチャーとは - コトバンク
- モッズというトライブ(族)
- Mod=Modern
- テッズ、ロッカーズ、モッズ、スキンヘッズ
- ディック・ヘブディジ『サブカルチャー―スタイルの意味するもの』
- テッド・ポレマス『ストリート・スタイル』
- ジョン・サベージ『イギリス「族」物語』
- 難波功士『族の系譜学―ユース・サブカルチャーズの戦後史』
- サブカルチャーの終焉?
- サブカルチャーの文化遺産化
- サブカルチャーのグローバル化
- ブリコラージュとしてのストリート・スタイル
- ブリコラージュ=間に合わせ、あり合わせの素材と道具を用いて新しいモノを作り出す器用仕事のこと。本来は、部族社会における活動を指すが、現代の資本主義社会において、既製の商品を使って新たな意味を作り出す作業のこともいう。
- シチュアシオニストからパンクへ
- ストリートの戦術――流用とブリコラージュ
- 多義的な場としてのストリート
- シカゴのマックスウェル・ストリート:『ブルース・ブラザース [DVD]』/YouTube
- 天王寺の青空カラオケ:大阪天王寺公園裏の路上カラオケ - YouTube
- ハイレッド・センター「芸術のテスト」
- 転用とセミ=ラティス構造
- トゥリー構造とセミ=ラティス構造
- クリストファー・アレクザンダー「都市はツリーではない」
- 中谷礼仁「自尊心の強い少年」(『セヴェラルネス+(プラス)―事物連鎖と都市・建築・人間』)
- 流用・転用・ブリコラージュ
- クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(Claude Lévi-Strauss, LA Pensee Sauvage)
- 宮本隆司『CARDBOARD HOUSES』
- 小田亮『レヴィ=ストロース入門 (ちくま新書)』も参照のこと
- 「ブリコラージュbricolage」と「コラージュcollage」の違い
- 場所と空間
- 消費者による生産
- 戦略(Strategy)と戦術(tactics)
- ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)』(Michel de Certeau,L' Invention Du Quotidien: 1: Arts de Faire)
- 多義的な場としてのストリート
- 「ヴァナキュラー」という概念
- Vernacular - Wikipedia
- 今福龍太『クレオール主義 (ちくま学芸文庫)』
- ヴァナキュラー・タイポグラフィ
- ヴァナキュラー建築
- ヴァナキュラー写真
- ヴァナキュラー写真 | 現代美術用語辞典ver.2.0
- IZU PHOTO MUSEUM|展覧会
- ジェフリー・バッチェン『時の宙づりー生・写真・死 (SUSPENDING TIME: LifeーPhotographyーDeath))』
- 佐藤守弘「遺影と擬写真 : アイコンとインデックスの錯綜」(神戸大学学術成果リポジトリKernel詳細画面)
- ヴァナキュラーとブリコラージュ
- クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』(Claude Lévi-Strauss, LA Pensee Sauvage)
- Vernacular - Wikipedia
- 都市とヴァナキュラー
- 今和次郎の思考と実践
- 考現学
- 今和次郎&吉田謙吉を中心とした都市の細部、痕跡を「採集」する行為
- 今和次郎の民家研究と採集
- 「建築外の建築」
- 「このような建築外の建築――人間がそのいる場所に、無意識のうちに築いている、いろいろな跡、すなわちいろいろなものをとり散らかしている有様そのまま――に厳密な態度で注意を突進めると、人間の動作の源泉の真理を考えることになる(「土間の研究図」)
- 建築への「空間」的視座
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- 「空間とは実践された場所のことである。たとえば都市計画によって幾何学的にできあがった都市は、そこを歩く者たちによって空間に転換させられてしまう(M・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)』)
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- バラック装飾社=自生する建造物
- 考現学採集
- 「動物学者や植物学者が動物や植物に対してもつ態度と、われわれがわれわれの対象たる文化人に向けるのと変わりがないのである。考古学の態度と照らしてみると、それは遺物遺跡にたいする心境である。街のショーウィンドーの品物を歴史博物館の陳列品と同列に見るのである」。
- 『今和次郎 採集講義』
- 考現学
- 超芸術トマソンから路上観察学へ
- 今和次郎の思考と実践