講義
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- 複製技術とメディア
- 機械的複製技術(Mechanical Reproduction)
- 1839:写真術(ダゲールによるダゲレオタイプ)
- 1841:ネガ=ポジ法(トルボットによるカロタイプ)
- 1877:録音技術(エディソンによるフォノグラフ)
- 1887:ディスク型録音装置(ベルリナーによるグラモフォン)
- 1895:映画(リュミエール兄弟によるシネマトグラフ)
- 1926:トーキー映画(ワーナー・ブラザーズによるヴァイタフォン)
- 参考:記録技術の年表 - Wikipedia(および通信技術の年表 - Wikipediaも)
- 1839:写真術(ダゲールによるダゲレオタイプ)
- 機械的複製技術(Mechanical Reproduction)
- 複製技術とメディア
- 写真と痕跡
- アイコン=インデックス的記号としての写真――パース
- アイコン的記号/インデックス的記号/シンボル的記号(C・S・パースによる記号の三分類)
- インデックス的記号=対象物との物理的因果関係に基づく記号
- 写真、特にスナップ写真は非常に有益である。というのは、それらが表意している対象にある点でまったくよく似ているということをわれわれが知っているからである。しかしこの類似性というのは、写真が一点一点物理的に自然と対応するよう強いられるという状況のもとで作られたという事実によるものである。そういう点で、それらは記号の第二のクラスつまり物理的結合による記号のクラスに属する。(チャールズ・サンダース・パース『パース著作集2 記号学』、内田種臣訳、勁草書房、1986)
- アイコン→メタファー(隠喩)、インデックス→メトニミー(換喩)
- 瀬戸賢一『メタファー思考 (講談社現代新書)』
- 呪術の二類型
- アイコン的記号/インデックス的記号/シンボル的記号(C・S・パースによる記号の三分類)
- アイコン=インデックス的記号としての写真――パース
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- 写真イメージの存在論――バザン
- そこ〔絵画〕に人間が介在するということが、画像の上に疑惑の影をいつまでも投じていた。〔……〕絵画と比べての写真の独自性は、その本質的な客観性にある。〔……〕最初の事物とその表現の間にもう一つの事物〔カメラないしはレンズ〕以外は何一つ介在しないというのは、これがはじめてのことだった。厳密な決定論に従えば、外部世界の像が人間の創造的干渉なしに自動的に形成されるというのは、これが初めてのことだった。〔……〕写真は、〔……〕《自然現象》としてわれわれに働きかけるのである。〔……〕写真は、事物からその再現物への実在性の移動によって利益を得ている。〔……〕写真の映像も、ピントが外れてぼやけたり、形が歪んだり、色が変化したり、資料的価値がなかったりすることがあるかもしれないが、その生まれてくる過程を考えれば、それはやはりモデルの本体から生じてきたものなのである。写真の映像は、モデルそのものなのである。
- デス・マスクの型取りもまた、再現の過程での一種の自動性を示している。この意味では、写真を、光という代理人による事物の型取りと見なすこともできるだろう。
- 写真イメージの存在論――バザン
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- 写真=「コードのないメッセージ」――バルト
- 写真のメッセージの中身は何だろうか。写真は何を伝えるのだろうか。当然、光景そのもの、そのものずばりの現実である。〔……〕現実そのものから写真に写すにあたって、現実を単位に細分して、それを写真が読むべきものとして与える対象とは素材の異なる記号として再構成する必要はまったくない。このオブジェと映像の間に中継物、すなわちコードを設定する必要はまったくない。たしかに映像は現実のものではない。しかし少なくともその完璧なアナロゴン〔相似物〕であって、常識的に写真を構成するのはまさしくこの類似の完全性なのである。こうして写真映像の特殊な位置づけがでてくる。写真はコードのないメッセージであるという位置である。(ロラン・バルト「写真のメッセージ」『映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)』)
- 写真=「コードのないメッセージ」――バルト
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- 「それは=かつて=あった」
- 「写真」が数かぎりなく再現するのは、ただ一度しか起こらなかったことである。〔……〕写真は、「ほら、これです、このとおりです!」と言うだけで、ほかのことは何も言わない。写真は哲学的に変換する(言葉にする)ことはできない。〔……〕「写真」は何か目の前にあるものを指さすのであって、そうした純粋に指呼的な言語活動の域を脱することができない。(10)
- 私が《写真の指向対象》と呼ぶものは、ある映像またはある記号によって指し示されるものであるが、それは現実のものであってもなくてもよいというわけではなく、必ず現実のものでなければならない。それはカメラの前に置かれていたものであって、これがなければ写真は存在しないであろう。〔……〕絵画や言説における模倣とちがって、「写真」の場合は、事物がかつてそこにあったということを決して否定できない。〔……〕それゆえ、「写真」のノエマ〔現象学的な本質〕の名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。〔……〕それはかつてそこにあった、がしかし、ただちに引き離されてしまった。それは絶対に、異論の余地なく現前していた。がしかし、すでによそに移され相異している。
- 写真とは文字どおり指向対象から発出したものである。そこに存在した現実の物体から、放射物が発せられ、それがいまここにいる私に触れにやって来るのだ。〔……〕私は、かつて存在したものがその直接的な放射物(その光)によって実際に触れた写真の表面に、こんどは私の視線が触れにいくのだと考えるとひどく嬉しくなる(あるいは暗い気持ちになる)〔……〕(ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』)
- 「それは=かつて=あった」
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- ロザリンド・クラウス――指標論
- あらゆる写真は、光のもろもろの反映を感光紙の表面上に転写した物理的痕跡なのである。写真はそれ故、イコン〔アイコン〕つまり視覚的類似の一種であるが、対象に対し指標〔インデックス〕的関係を持っているのである。真のイコン〔アイコン〕との隔たりを写真が感じさせるのは、この完全に物理的な生成によってである。つまり、大抵の絵画の描写的再現=表象の中で作用している組織的配列とか象徴的な意味の介在といったプロセスの入り込む余地を与えない、もしくはそうしたプロセスを短絡させるように見える、全くの物理的生成によってである。(ロザリンド・クラウス『オリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集』)
- ロザリンド・クラウス――指標論
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- 痕跡の系譜
- 絵画の起源神話
- 痕跡と影絵(シルエット)
- デスマスク
- デス・マスクの型取りもまた、再現の過程での一種の自動性を示している。この意味では、写真を、光という代理人による事物の型取りと見なすこともできるだろう。
- 本来なら、ここで、ミイラ・コンプレックス〔死後の永遠の生命の永続を求める心性〕に由来する実在性の移動によって、同様に利益を得ている《聖なる遺物》と《形見》との心理学についても、検討しておかなければならないところだろう。だが、今はただ、「トリノの聖なる屍衣」が、《聖なる遺物》と写真との綜合を果たしているということだけを指摘しておこう。(アンドレ・バザン「写真映像の存在論」『映画とは何か』2、美術出版社、1970)
- (参考)聖史上のある人物と接触を持ったとみなされるあらゆる品――その人物の体の一部をはじめとして――が聖遺物と見なされていた〔……〕〔それは〕聖人が生前に持っていた恩寵をそっくり保持していた。(クシシトフ・ポミアン『コレクション―趣味と好奇心の歴史人類学』、吉田城、吉田典子訳、平凡社、1992)
- エルンスト・ベンカアト『永遠の貌』
- Lifecasting Tutorial: How to Make a Mold of Your Face with Alginate - YouTube
- ライフマスク制作体験記 - YouTube
- ライフマスクよ永遠に
- 洞窟絵画とネガティヴ・ハンド
- 奉納物(エクス・ヴォート)と身体の痕跡
- 水野千依「ルネサンスの奉納像――〈痕跡〉と〈分配されたパーソン〉」『美術フォーラム21』20号(特集:物質性/マテリアリティの可能性)
- 聖顔布とアケイロポイエートス(人の手に依らないイメージ)
- 聖ヴェロニカの伝説/マンディリオンの伝説
- 神聖なる肖像
- 水野千依『キリストの顔: イメージ人類学序説 (筑摩選書)』
- 宮武外骨の「無機械写真法」
- イヴ・クラインの《人体測定》
- 痕跡の系譜
- 初期映画論
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- 長谷正人『映画というテクノロジー経験 (視覚文化叢書)』
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- ジョルジュ・メリエス
- 『手品師』(1899)→George Melies - The Conjuror 1899 - YouTube
- 『いくつもの頭を持つ男』(1898)→YouTube
- 『ひとりオーケストラ』(1900)→Georges Méliès: The One-Man Band (1900) - YouTube
- 『ゴム頭の男』(1902)→YouTube
- 『月世界旅行』(1902)→A Trip to the Moon / Le Voyage dans la lune - 1902 - YouTube
- ジョルジュ・メリエス
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- ジョージ・アルバート・スミス(ブライトン派)
- 『トンネルの中でのキス』(1899)→George Albert Smith: The Kiss in the Tunnel (1899) - YouTube
- 『おばあちゃんの虫眼鏡』(1900)→Grandma's Reading Glass (1900) - 1st PoV Close-Up - George Albert Smith - YouTube
- 『病気の子猫』(1902)→Sick Kitten - George Albert Smith - 1903 - YouTube
- 『メアリー・ジェーンの災難』(1903)→George Albert Smith: Mary Jane's Mishap (1903) - YouTube
- ジェームズ・ウィリアムソン(ブライトン派)
- ジョージ・アルバート・スミス(ブライトン派)