昨日の補足
- メタ映像:High Anxiety- Window Scene - YouTube/岡崎体育 『MUSIC VIDEO』Music Video - YouTube
- 流用、盗用、我有化(アプロプリエーション)
- ブレイク・ビーツと流用
- De La Soul, "Say No Go" (1989年、スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング +14収録)
- Say No Go - Wikipedia
- ブレイク・ビーツと流用
- タカラトミー 「奇跡?」 - YouTube
- 石岡瑛子の広告デザイン:石岡瑛子と写真、その先鋭的な広告クリエイティブの世界 | ARTICLES | IMA ONLINE
- 吉田ユニ:YUNI YOSHIDA
- 規範としてのヨーロッパ人身体:小野芳朗『「清潔」の近代―「衛生唱歌」から「抗菌グッズ」へ (講談社選書メチエ)』
- ヴァルター・ベンヤミン『図説 写真小史 (ちくま学芸文庫)』
映像9, 19世紀の視覚文化——鉄道・パノラマ・ミュージアム
- 19世紀視覚文化年表
- 1753 大英博物館開館
- 1791 ベンサム、パノプティコンを考案
- 1793 ルーヴル美術館開館
- 1794 バーカー、レスター・スクウェアにパノラマ館を開く
- 1798 パリ産業博覧会
- 1811 tourismの語の初出
- 1822 この頃からパサージュが次々と建造される
- 1825 ストックトン〜ダーリントン間に世界初の商用鉄道開通
- 1839 ダゲールによる写真の発明が科学アカデミーで公表
- 1841 トーマス・クック、最初のマス・トゥーリズムを企画
- 1842 イギリスにおいて鉄道の統合
- 1843 パリ=オルレアン間の鉄道開通
- 1849 ブリュースター、ステレオスコープを開発
- 1851 ロンドン万国博覧会
- 1852 パリにてボン・マルシェ開店
- 1853 オースマンのパリ大改造(〜70)
- 1863 クック、パリ、スイスへのパック旅行を企画
- 1867 パリ万国博覧会
- 1889 パリ万国博覧会(エッフェル塔)
- 1895 リュミエール、シネマトグラフ初上映
- 1896 第一回近代オリンピック開催
- 鉄道の視覚文化論
- ヴォルフガンク・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史―19世紀における空間と時間の工業化』
- 視覚文化における仲介の制度
- 展示の系譜
- 教会の聖遺物、献納品コレクション
- 日本の場合:開帳(居開帳、出開帳)
- 驚異の部屋(珍品陳列室)
- 「世界という散文」=アレゴリーとしてのコレクション
- ミシェル・フーコー『言葉と物〈新装版〉: 人文科学の考古学』
- クシシトフ・ポミアン『コレクション―趣味と好奇心の歴史人類学』
- 「世界という散文」=アレゴリーとしてのコレクション
- 博物学のまなざし
- 可視的なものに名を付ける
- 美術館、博物館の誕生から万国博覧会へ
映像10, 万国博覧会と視覚の力
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- 「万国博覧会は商品という物神〔フェティッシュ〕への巡礼所である。……万国博覧会は商品の交換価値を美化する。博覧会が作る枠組みのなかでは、商品の使用価値が背景に退く。博覧会は幻像〔ファンタスマゴリー〕を繰り広げ、人間は気晴らしを求めてそのなかへはいってゆく」(ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)』)
- 百貨店の誕生
- パサージュとマガザン・ド・ヌーヴォーテ→スペクタクルとしての商品
- 世界初の百貨店、ボン・マルシェ=「現代商業のカテドラル」(ゾラ)
- 薄利多売、現金正価、入店自由、返品可
- パリ大改造と視覚的都市の誕生
- 1853〜1870:セーヌ県知事、オスマンによる。
- 日本と博覧会
映像11, 鏡・セルフィ・テレビ電話——ヴィデオ会議のなかの〈私〉
- 鏡・セルフィ・テレビ電話——ヴィデオ会議のなかの〈私〉
- 2020 オープン研究会② | home
- コミュニケーションと没場所性
- 没場所性に抗して | 本江正茂 ‹ Issue No.42 ‹ 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース
- すべての情報技術の革新は、まず、コミュニケーションのコストを下げようとする。それが達成されてから、低いコストを保ったままで、コミュニケーションの強度を上げようとする。〔…〕情報技術でコミュニケーションのコストを削減しようとするときに、引き換えにされるのは、時間と空間の同期による濃密なコミュニケーションという「場所に根付いた企て」の特性にほかならない。利益は「場所」からえぐり取られている。削減されたかにみえるコストを支払っているのは「場所」なのである。
- エドワード・レルフ『場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)』
- ウィリアム・J・ミッチェル『e‐トピア―新しい都市創造の原理』
- 没場所性に抗して | 本江正茂 ‹ Issue No.42 ‹ 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース
- テレビ電話の歴史
- https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_videotelephony:titile
- アイザック・アシモフと子供たちの「未来予想図」 WEBESSAYS サントリー文化財団
- The Fantastic and Troubled History of the Video Phone - Flashbak
- 飯田豊『テレビが見世物だったころ: 初期テレビジョンの考古学』
- 当時〔1930年代〕のテレビジョン電話は、双方向コミュニケーションを実現するメディアとしての「テレビ電話」とは、大きく異なるニュアンスをともなっていた。〔中略〕双方が対等な関係で会話を楽しむというよりは、一方が他方を眺めるという非対称な関係になっていることが分かる。まるで監視カメラのような「見る(見せる)/見られる」という不均衡なまなざしを媒介する技術として想定されていたようである。〔…〕十九世紀後半以降のSF的想像力の系譜と共鳴しながら、テレビジョン電話は社会に姿を現しつつあった。テレビジョンという希代の科学技術は、こうしてモダニズムとナショナリズム、そしてジェンダーやコロニアリズムなどをめぐる不均衡なまなざしをはらんでいったのである。
- 電話と親密性
- 吉見俊哉・若林幹夫・水越伸『メディアとしての電話』
- 電話は、眼差しを欠いた脱場所的な声のコミュニケーションを可能にしていくことにより、対面的な出会いとは構造的に異なる関係性の次元を構成していく。これは、同じ電気的な複製メディアのなかでも、電話に特異の次元である。複製メディアの理想が、ヴァーチャル・リアリティのような三次元的な映像を伴う現実の複製や、触覚や嗅覚的な情報をも含んだ現実の複製にあるのだとすれば、あまり質のよくない音声だけを複製する電話のようなメディアは、きわめて原始的な段階にあるのだということになるだろう。だが、そのような複製メディアとして〔の〕不完全さゆえに、電話は「声による触れあい」という特異な関係の場を二〇世紀の社会に生み出すことになった。それは、メディアが複製する「現実」が実際の世界に対して持つ差異や欠落をむしろ積極的な契機として、新しい社会的現実を作りだしてゆく一つの例として見ることができるだろう。
- 吉見俊哉・若林幹夫・水越伸『メディアとしての電話』
- ヴィデオ会議のなかの〈私〉
- ジョン・バージャー『イメージ―視覚とメディア (ちくま学芸文庫)』
- 『パリ、テキサス デジタルニューマスター版 [DVD]』
- セルフィと鏡
- 前川修『イメージのヴァナキュラー: 写真論講義 実例編』
- セルフィは一見すると、写真の不気味さや不安定さの源泉であった〔…〕「幻のもうひとり」〔写真には写り込まない撮影者〕というメタレベルをすっかりオブジェクトレベルに組み入れてしまい、幽霊のようなその不在の存在を祓ってしまったかに思える。〔…〕「幻のもうひとり」はどこへ行ったのか。それは端的にいなくなったと答えることもできる。しかし、「もうひとり」は、分割不可能な「ひとり」ではなく、むしろ細かに分割されたレイヤーとして、その重なりのあいだに拡散しているのではないか。
- 増田展大「接続する写真——記憶、自撮り、身振り」『インスタグラムと現代視覚文化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって』
- 『トゥルーマン・ショー (字幕版)』
- 前川修『イメージのヴァナキュラー: 写真論講義 実例編』
映像12, ミニ講義——作品の構造:内容と形式
- 作品の構造
- 内容と形式=「何」を「どのよう」に表しているか
- 内容=描写対象、被写体、物語、思想、機能など
- 形式=形態、色、構図、構成、メディア、使う道具など
- マット・マドン『コミック 文体練習』
- レイモン・クノー『文体練習 (レーモン・クノー・コレクション 7)』(旧訳『文体練習)』)
- 内容と形式=「何」を「どのよう」に表しているか
レポート課題
- 任意の視覚的イメージを一点採り上げ、その作品の内容と形式のレヴェルの違いを意識した上で、講義内で行われたさまざまな問題を踏まえて、そのイメージについて論述する。
- 引用元、参考文献(書籍、ウェブなど)は、文末にリストの形で必ず明記すること(下記の字数には含めな い)