先週の補足とか
- Communication:"classical Latin commūnicātiōn-, commūnicātiō action of sharing or imparting" (OED)
- 「動物化」
- ファン・カルチャー
- 民俗学(folklore studies)と民族学(ethnology→文化人類学)
- 今日の「民俗学」
- 民族音楽学(ethnomusicology)
- 民族音楽学(みんぞくおんがくがく)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- 音楽民族学 - Wikipedia
- 伊東信宏『中東欧音楽の回路: ロマ、クレズマー、20世紀の前衛』(かならずしも「入門書」じゃないけど)
- gggBooks (世界のグラフィックデザイン)シリーズ | DNP文化振興財団@文学部図書室
- デニス・モリス「Colored Black」展(KYOTOGRAPHIE)
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- デニス・モリス『Colored Black』HeHe、2023。
講義
- さまざまな「カルチャー」
- ハイ・カルチャー=高級文化、社会的エリート(王侯貴族、宗教的権威、ブルジョワ、知識人など)の文化。
- ポピュラー・カルチャー=民衆文化。近代に限らない被支配層の文化。以下の諸文化の上位概念。
- フォーク・カルチャー=民俗文化。おおく産業化以前の社会における伝統的文化について用いられるが、最近はヴァナキュラー・カルチャーに近い意味で用いられることも多い。
- ヴァナキュラー・カルチャー=多くは無名の作者による制作物からなり、市場で取引されることの少ない、ある土地独特の文化を指す。
- マス・カルチャー=大衆文化。多くの人達のために大量に作られる文化。複製技術を前提にする。
- ポップ・カルチャー=ポピュラー・カルチャーと同義にも用いられることもあるが、つかの間の流行といった意味も持つ。
- サブカルチャー=主流(ドミナント)ではない、少数者による周縁的な文化。
- 「サブカル」=90年代の日本で、「オタク」系ではないお洒落なサブカルチャーに対して用いられはじめた言葉(入門「オタク」と「サブカル」はどう違うのか? 90年代の源流をたどる | アーバン ライフ メトロ)
- カウンター・カルチャー=サブカルチャーのうち、主流文化に対する対抗的/反抗的な性格が強いもの
- アンダーグラウンド・カルチャー=→「アングラ」:「地下」→「非合法」→主流ではない批判的・実験的な文化
- オルタナティヴ・カルチャー=これまでとは違う文化。「カウンター」、「アンダーグラウンド」の代わりに用いられるようになった
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- 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダー/セクシュアリティ、エスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする」。(佐藤守弘「消費文化への両義的な対処法──マスメディア時代の「ポップ」再考、UNPOPULAR POP報告書 – UNPOPULAR POP、pp.160-184)」
- 「そもそも、同じポピュラー・カルチャーに分類されてはいても、フォーク・カルチャー(民俗文化)と近代的なマス・カルチャー(ひいてはポップ・カルチャー)は、定義上、相容れないものと考えられていた。本来は小さなコミュニティで共有されていたフォーク・カルチャーは、近代の都市におけるメディアの変容によって登場するマス・カルチャーに征服されてしまい、真正な文化財と して保存されるしかない運命を辿ったとされる。ちなみに「定義上」と書いたのは、その考えがクレメント・グリーンバーグなどが考えたように古いものであり、たとえば現代の民俗学の最前線 ──菊地暁『民俗学入門』(岩波新書、二〇二二)に見られるような──では、フォーク・カルチャーを必ずしもそのように捉えているとは限らないからである」(佐藤守弘「民謡クルセイダーズ——矛盾の肯定」同上、p.124)
- 文化概念の変容
- 古典的定義=「教養」としての文化
- 人類学的定義=「生活の仕方の全体」
- 「意味の共有」としての文化=文化論的転回
- 参考文献
- レイモンド・ウィリアムズ『完訳 キーワード辞典』
- 柳父章『文化 (一語の辞典)』
- スチュアート・ホール編『リプレゼンテーション――文化的表象と意味作用の実践』(Stuart Hall, ed., Representation: Cultural Representations and Signifying Practices, London: Sage/ Open University, 1997)、序章
- 西川長夫「文化と文明ーーその起源と変容」(『〔増補〕国境の越え方 (平凡社ライブラリー)』)
- 文化:イメージ/モノ/コトバとコンテクスト
- 単純化して言うなら、文化とは「共有された意味shared meaning」に関わるものである。そもそも言語は、とりあえず「意味を生みだす/理解するmake sense」——すなわち意味が生成produceされ、交換される——ことにおいて特権化された媒体mediumである。
- 私たちが同一の言語に等しく通じているときにのみ、意味は共有される。したがって、言語こそが意味と文化の中心を占めるものであり、文化的な価値や意味をつねに貯える重要な場所と見なされているのである。
- 人文科学や社会科学——特にカルチュラル・スタディーズや文化の社会学——において、「文化論的転回cultural turn」と呼ばれるようになってきたものは、文化の定義において意味meaningの重要さを強調する。文化とは、モノthings——小説や絵画、テレビ番組やマンガなど——の集合体であるだけでなく、プロセス、すなわち実践practiceの集合体でもあると論じられる。第一義的に、文化とは、社会や集団の構成員間における意味の生成と交換——すなわち「意味の贈答」——に関するものである。二人の人が同じ文化に属するということは、二人が世界を大まかに同じように解釈していて、彼女/彼ら自身のことや、世界に対する考えや感情を、お互いが理解しあえるような仕方で、表現することができるということである。したがって文化とは、自らの周りに起こることを意味あるように解釈し、おおまかに似たかたちで世界を「理解する=意味を作る〔make sense〕」参加者に依存するものなのである。
- 文化的な実践を強調することは、重要なことである。ある文化の参加者こそが、人やモノや出来事に意味を与えるのである。モノは「それ自身の中」に、単一の、固定した、不変の意味を具えることは、あったとしてもほとんどない。石のように明白に見えるものでも、それは石であったり、境界のしるしであったり、彫刻であったりするであろう。それは、それが何を意味するのか、すなわち、ある特定の使用のコンテクスト、哲学者がさまざまな「言語ゲーム」(つまり境界線の言語、彫刻の言語など)と呼ぶものに依る。私たちがものを使うこと、私たちがものについて語り、考え、感じること——私たちがものを表象すること——こそが、私たちがものに意味を与えるということなのである。部分的には、私たちはモノ、人、出来事に、私たち自身の解釈の枠組みによって、意味を与える。
- スチュアート・ホール編『リプレゼンテーション――文化的表象と意味作用の実践』(Stuart Hall, ed., Representation: Cultural Representations and Signifying Practices, London: Sage/ Open University, 1997) (Representation: Cultural Representations and Signifying Practices (Culture, Media and Identities series))