芸術学概論1 第6回

先週の補足

  • 接触/距離と文化
    • 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、「濃厚接触」という言葉を頻繁に耳にするようになった。ウイルスの感染を防ぐために、濃厚接触を避ける。単純にとらえるなら、一連の肺炎騒ぎは、さわる文化の危機ということができる。しかし、そもそも接触とは何だろうか。かつて人間は「距離」を縮めるために、身体を駆使して対象物に肉薄した。中世・近世に各地を遍歴した琵琶法師の芸能を想起するまでもなく、テレビやラジオがない時代、人々の生活は濃厚接触で成り立っていたともいえる。濃厚接触で人・物に触れる際、そこには暗黙のマナー、触れ合いの作法があった。近代化の「可視化=進歩」の過程で、人類は濃厚接触のマナーを忘却してしまった。
    • 近年の拙著では、曖昧な「健常者」に代わって、「見常者」(視覚に依拠して生活する人)という語を使っている。僕が見常者でないのは明らかである。そして、現代社会を構成する大多数の人が見常者であるのも間違いない。では、琵琶法師や瞽女が活躍した中・近世はどうだろう。平曲や瞽女唄に耳を傾けていた民衆は目の見える人々であるが、見常者というわけではない。彼らは見ることに偏らず、さわること、聴くことの楽しさ、奥深さも心得ていた。
    • 人類が過度に視覚に依存するようになるのは近代以降である。現代社会においては、「健常者→見常者」「視覚障害者→触常者」の置き換えは可能だが、時代を遡れば目が見える触常者も多数存在していた。また、「目に見えない世界」が尊重されていた社会では、盲人(視覚を使わない人)は障害者(視覚を使えない人)ではなかったともいえるだろう。目の見える触常者が増えれば、「障害者/健常者」という二分法に基づく近代的な人間観は改変を迫られる。『触常者として生きる』が読者の毛穴に眠る触角をくすぐり、社会の多数派が保持する「健常者幻想」を打ち破ることを期待したい。
    • コロナ・ピューリタニズムの懸念|斎藤環(精神科医)
  • 恋愛と欲望
    • 言葉を使うことによって、人間は「欲望」を手に入れた。〔…〕おおざっぱに対比するなら、動物は「本能」と「欲求」に突き動かされ、本能の欠如した人間は「欲望」に従う。〔…〕動物の本能というのは、遺伝子にプログラムされた特殊なソフトウェアのことだ。〔…〕だいたい人間は、教わらなければ何もできない。言い換えるなら、あらゆる行動を、それこそケンカやセックスに至るまで、後天的に、学習によって習得する必要があるのだ。そして人間の学習は、そのほとんどが言葉の助けを借りて行われる。だからもちろん、「欲望」も言葉に根ざした学習の産物なんだ。/欲望と欲求のちがいを考えるうえで、ここでは「性欲」を例にとろう。動物の性欲は、「発情期」という言葉があるように、タイマー付きのプログラムとして遺伝子に書き込まれている。〔…〕さて、人間はどうか。まず人間は年中発情期ですね。これを否定する人はいまい。性行為の知識は先輩とかAVなどによって学習されますね。異性との出会いから性交に至るまでのパターンは「恋愛」の名のもとにきわめて複雑でしちめんどくさい洗練を遂げています。そして、性行為。ここにもいろんなパターンがあるけど、共通していることは、人間が性行為によって完全に満足することがあり得ないということ。〔…〕欲求は満足することができる。でも欲望は、決して満足しない。そして、人間の活動は、そのほとんどがこうした「満たされない欲望」のうえに成立している。僕たちは自分の抱えた欲望を、そのつどちょっとずつだけ満たしてやることで、最終解決は先送りしながら生きている。もっと言えば、実は最終解決なんて、本当は存在しない。〔…〕実はこういう欲望のメカニズムは、「資本主義」システムのそれとよく似ている。いろんな問題解決を常に先送りしながら成立しているこのシステムは、その究極的な解消がありえないことが、システム成立のための重要なよりどころになっている。(pp. 22-24)
  • 動物と自殺
  • 音楽
私を構成する42枚


www.youtube.com


www.youtube.com

講義


https://satow-morihiro.hatenablog.com/


はてなダイアリーのサービス終了のため、講義情報ページをはてなブログに移行しました。以前の記事にアクセスすると、ここに自動的にリダイレクトされるようにしています。

19年度前期芸術学A視覚文化論デザイン論特講1デザイン理論特講(大学院)/a> 講演、特別講義など

前学期までの講義情報総合情報シラバス