- 「芸術/アート」とはなにか?
- げい‐じゅつ【芸術】:『広辞苑』の定義
- 一般的/古典的な「芸術」に関する定義=「芸術とは、剽窃であってはならない。つまりそれは、だれかある個人が、自分の手でつくったものであり、しかも過去にすでにあるものを模倣したり剽窃したりするのではなく、かれの「独創」によるものでなくてはならない。そのような意味で、芸術とは「創造」なのである。こうして創造された作品は、たんなる器具のような有用性に意味がある品物ではなく、とりわけ便器のような卑俗な、さらには不道徳なものであってはならない。作品は、独創において他からくっきりと際だたせられた一個の自立的な存在として、それ自体に固有の意味と価値をもち、またその価値において、これを鑑賞する者の教養や趣味の陶冶をつうじて、あるべき人間性と道徳をたかめるものでなければならない(西村清和『現代アートの哲学』)」。←これって今でも有効か?
- 「価値的」用法と「記述的」用法
- 「art」の用法の歴史
- 技術/技芸
- 美しい芸術
- 「芸術のための芸術」
- コンセプチュアル・アート〔概念芸術〕
- 誰が「芸術/アート」を定義するのか
- アートワールドと制度
- Arthur Danto, "The Artworld," The Journal of Philosophy, Vol.61, No.19, 1964
- アートワールドと制度
- 絵画における「モダニズム」とは?
- 日本と近代「美術」
- 写真前史
- 幾何学的遠近法(透視図法)とイリュージョン
- カメラ・オブスキュラ
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- カメラ・オブスキュラとは、ラテン語で「暗い部屋」という意味。暗い部屋に、小さな穴(ピンホール)から光が差し込むと、外の明るい世界が上下左右逆に映るという原理は紀元前から知られていた。
- 後にレンズを利用することによって、鮮明な像(イメージ)が得られることが知られるようになり、ヨーロッパでは、ルネサンス期以降、描画装置、科学的な観察装置として広く使われるようになり、また啓蒙主義時代(17c後半〜18c)の知のモデルともなった。
- ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜―視覚空間の変容とモダニティ (以文叢書)』
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- カメラ・オブスキュラと写真の「発明」
- ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー (視覚文化叢書)』
- 写真の「起源」とは???
- ダゲレオタイプ(銀板写真)
- ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー (視覚文化叢書)』
- 「美大」とは?
- 美術系大学はどれくらいあるか? - 美大日記::ムサビの手羽/美術系大学はどれくらいあるか?回答編 - 美大日記::ムサビの手羽
- 美術学校 - Wikipedia/芸術大学 - Wikipedia
- 世界最古の美術学校:エコール・デ・ボザール - Wikipedia=徒弟制度から教育制度へ
- 参考:加島卓「美大論――専門教育の境界の融解」(遠藤知巳編『フラット・カルチャー―現代日本の社会学』(満たされているようで、満たされないあの感覚 - 凸と凹の間)
日本の美術学校の歴史(戦前)
- 工部寮造家科(1973〜)
- 工部美術学校(1876〜1883)
- 京都府画学校(1880〜)
- 東京美術学校(1887〜)
- 現、東京藝術大学美術学部、http://www.geidai.ac.jp/guide/outline/history.html#2
- 1887 絵画(日本画)科、彫刻(木彫)科、美術工芸(金工・漆工)科
- 1892 +練金科
- 1895 +鍛金科
- 1896 +西洋画(1933に油画科)、図案科
- 1899 +塑造科
- 1907 +図画師範科
- 1914 +製版科(〜1923)
- 1915 +臨時写真科(〜1926)
- 1923 +建築科
- 絵画、彫刻、工芸、建築の4学科+師範科という体制へ
- 富山県工芸学校(1894〜):日本初の工芸学校。香川県工芸学校が続く。
- 現、高岡工芸高校、沿革の概要 – 富山県立高岡工芸高等学校
- 東京工業学校工業図案科(1900〜):のちに東美校の写真・製版科と一緒に東京高等工芸学校(1921〜)
- 女子美術学校(1901〜):東美校の女子ヴァージョンとして
- 東京帝国大学文学部美学講座(1893〜):美学講座のはじまり
- 京都高等工芸学校(1902〜)
- 日本大学法文学部美学科(1922〜):はじめは理論系から、のちに制作系
- 文化裁縫女学校(1923〜):日本初の服飾教育
- 小西写真専門学校(1923〜)
- 帝国美術学校(1929〜)