芸術学特論2 第11回

講義

写真論2 第1回

自己紹介

写真論1の振り返り

講義

  • 複製技術とはなにか?
    • 複製技術とメディア
      • 機械的複製技術(Mechanical Reproduction)
        • 「第一に、技術による複製はオリジナルにたいして、手製の複製よりも明らかに自立性をもっている。たとえば写真による複製は、位置を変えて視点を自由に選択できるレンズにだけは映っても人間の目には映らない眺めを、オリジナルから抽出して強調することができる。あるいはまた、引き伸ばしや高速度撮影の特殊な手法の助けを借りて、普通の日では絶対に捉えられない映像を、定着することもできる。これが第一点。加えて、技術による複製は第二に、オリジナルの模像を、オリジナル自体にかんしては想像も及ばぬ場所へ、運びこむことができる。何よりもそれは、写真のかたちでであれディスクのかたちでであれ、オリジナルを受け手に近づけることができる。大寺院もその場所を離れて、芸術愛好家のアトリエに受け入れられるようになり、大ホールや野外で歌われた合唱作品も、室内で聴かれるようになる」(ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」1936)
      • 複製技術の歴史
    • 「録音」という複製技術

芸術学特論2 第10回

コメント返し

  • 第三の意味
  • ストゥディウムとプンクトゥム
    • 確かに私はそうした〔ニカラグアでの反乱の〕写真に対して、一種の一般的関心、ときには感動に満ちた関心をいたくことができるが、しかしその感動は、道徳的、政治的な教養(文化)という合理的な伸介物を仲立ちとしている。そうした写真に対して私が感ずる感情は、平均的な感情に属し、ほとんどしつけから生ずると言ってよい。フランス語には、この種の人間的関心を簡潔に表現する語が見当らない。しかし、ラテン語にはそれがある、と私は思う。それは、ストゥディウム(studium)という語である。この語は、少なくともただちに《勉学》を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。私が多くの写真に関心をいだき、それらを政治的証言として受けとめたり、見事な歴史的画面として味わったりするのは、そうしたストゥディウム(一般的関心)による。というのも、私が人物像に、表情に、身振りに、背景に、行為に共感するのは、教養文化を通してだからである。ストゥディウムのうちには、それが文化的なものであるという共示的意味が含まれているのである)。
    • 第二の要素は、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。こんどは、私のほうからそれを求めて行くわけではない(私の至高の意識をストゥディウムの場に充当するわけではない)。写真の場面から矢のように発し、私を刺し貫きにやって来るのは、向こうのほうである。ラテン語には、そうした傷、刺し傷、鋭くとがった道具によってつけられた標識を表わす語がある。しかもその語は、点を打つという観念にも関係があるだけに、私にとってはなおさら好都合である。実際、ここで問題になっている写真には、あたかもそうした感じやすい痛点のようなものがあり、ときにはそれが斑点状になってさえいるのだ。問題の標識や傷は、まさしく点の形をしているのである。それゆえ、ストゥディウムの場をかき乱しにやって来るこの第二の要素を、私はプンクトゥム(punctum)と呼ぶことにしたい。というのも、プンクトゥムは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり、しかもまた、骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。(バルト『明るい部屋』)
  • 写真とデフォルメ


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講義

  • 写真と痕跡性
    • ロザリンド・クラウス――指標論
      • いかなる写真も、光の反映を感光性の表面に転写した物理的痕跡の結果である。写真はそれゆえ、一種の〔ア〕イコンつまり視覚的類似性であり、対象に対し指標〔インデックス〕的関係を持つ。真の〔ア〕イコンとの隔たりを写真が感じさせるのは、この物理的生成の絶対性によってである。つまり、大抵の絵画の描写的表象のなかで作用している図式化とか象徴的介入といったプロセスの入りこむ余地を与えない、もしくはそうしたプロセスを短絡させるように見えるような物理的生成によってである。(ロザリンド・クラウスアヴァンギャルドのオリジナリティ ―― モダニズムの神話』)
    • トム・ガニング——インデックス論批判
      • インデックス的なものと写真的なものを同一視することは馬鹿げている。たいていのインデックス的な情報は、写真術によって記録されるのではない。〔…〕医療機器やその他の計測機器〔…〕は、すべてその情報を数値に変換していた〔…〕。写真は〔インデックスとアイコンという〕二つの記号類型を結合させているとはいえ、写真のインデックス的性質はその〔ア〕イコン性と混同されてはならない。数値行列は写真と似ていないという事実、あるいは写真が表象していると想定される何物かと似ていないという事実によって、何らかのインデックス的資格が損なわれることはない。そもそもインデックスは、それが表象するものと似ている必要はない(そして、似ていないことも多い)(トム・ガニング「インデックスの何が問題なのか? あるいはさまざまな偽造写真」、『映像が動き出すとき――写真・映画・アニメーションのアルケオロジー』)
  • 痕跡とイメージ
    • 聖顔布とアケイロポイエートス(人の手に依らないイメージ)
    • 痕跡の系譜
      • 絵画の起源神話
        • コリントスの都市シキュオンにおいて陶器を作っていたブタデスという人物がいた。その娘は、ある青年に恋をしていた。その青年が外国へ行こうとしていたとき、彼女はランプによって投げられた彼の顔の輪郭を壁の上に描いた。この素描を基にして、父ブタデスは、塑像を作った」(大プリニウス『博物誌』)。
      • 痕跡と影絵(シルエット)
        • 「私が観相学上の知識を多く得たのは、他の如何なる肖像画よりも、純然たる影絵の方からである。観相学は影絵以上に客観的真実性を裏づける確かな証拠を持たない。なぜなら、影絵は、自然から直接に型取りしたものであるから」(J・C・ラーファター『観相学断片』)。
      • デスマスク
        • デス・マスクの型取りもまた、再現の過程での一種の自動性を示している。この意味では、写真を、光という代理人による事物の型取りと見なすこともできるだろう。(バザン「写真映像の存在論」)
        • エルンスト・ベンカアト『永遠の貌』
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        • ライフマスクよ永遠に

写真論1 最終回(補講)

芸術学特論2 第9回

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  • バザン「写真映像の存在論」再読
    • 「いまやレンズだけが、事物をその大雑把な類似物以上のものによって置き換えたいという欲求を、私たちの無意識の奥底から「解放」できる。それは事物そのもの、しかも時間の偶然性を免れた事物そのものを与えてくれるボケていたり、変形や変色が生じていたり、資料的価値がなかったりするかもしれないが、しかし写真はその生成過程からして、モデルの存在自体に根ざしている。写真とはモデルそのものなのだ」
    • 「もし造形芸術に精神分析を適用したならば、死体に防腐処理を施す慣習が、造形芸術の誕生の重要な契機とみなされるかもしれない。〔…〕絵画の制作は人間中心主義的なあらゆる功利性から解放されるに至った。めざされているのはもはや人間の不死ではなく、より一般的に、現実に似ていながら自立した時間性を備えた、理想的宇宙の創造なのである。〔…〕写真は芸術のように永遠を創造するのではなく、時間に防腐処置を施すのであり、そうやって、時の流れ自体による腐敗作用から時間を守るだけなのである」

講義

  • 写真と痕跡性
    • 写真=「コードのないメッセージ」――バルト
      • 写真のメッセージの中身は何だろうか。写真は何を伝えるのだろうか。当然、光景そのもの、そのものずばりの現実である。〔……〕現実そのものから写真に写すにあたって、現実を単位に細分して、それを写真が読むべきものとして与える対象とは素材の異なる記号として再構成する必要はまったくない。このオブジェと映像の間に中継物、すなわちコードを設定する必要はまったくない。たしかに映像は現実のものではない。しかし少なくともその完璧なアナロゴン〔相似物〕であって、常識的に写真を構成するのはまさしくこの類似の完全性なのである。こうして写真映像の特殊な位置づけがでてくる。写真はコードのないメッセージであるという位置である。(ロラン・バルト「写真のメッセージ」『映像の修辞学』、あるいは『第三の意味 新装版: 映像と演劇と音楽と
    • 「それは=かつて=あった」
      • 「写真」が数かぎりなく再現するのは、ただ一度しか起こらなかったことである。〔……〕写真は、「ほら、これです、このとおりです!」と言うだけで、ほかのことは何も言わない。写真は哲学的に変換する(言葉にする)ことはできない。〔……〕「写真」は何か目の前にあるものを指さすのであって、そうした純粋に指呼的な言語活動の域を脱することができない。(10)
      • 私が《写真の指向対象》と呼ぶものは、ある映像またはある記号によって指し示されるものであるが、それは現実のものであってもなくてもよいというわけではなく、必ず現実のものでなければならない。それはカメラの前に置かれていたものであって、これがなければ写真は存在しないであろう。〔……〕絵画や言説における模倣とちがって、「写真」の場合は、事物がかつてそこにあったということを決して否定できない。〔……〕それゆえ、「写真」のノエマ現象学的な本質〕の名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。〔……〕それはかつてそこにあった、がしかし、ただちに引き離されてしまった。それは絶対に、異論の余地なく現前していた。がしかし、すでによそに移され相異している。
      • 写真とは文字どおり指向対象から発出したものである。そこに存在した現実の物体から、放射物が発せられ、それがいまここにいる私に触れにやって来るのだ。〔……〕私は、かつて存在したものがその直接的な放射物(その光)によって実際に触れた写真の表面に、こんどは私の視線が触れにいくのだと考えるとひどく嬉しくなる(あるいは暗い気持ちになる)〔……〕(ロラン・バルト明るい部屋―写真についての覚書』)
    • ロザリンド・クラウス――指標論
      • あらゆる写真は、光のもろもろの反映を感光紙の表面上に転写した物理的痕跡なのである。写真はそれ故、〔ア〕イコンつまり視覚的類似の一種であるが、対象に対し指標〔インデックス〕的関係を持っているのである。真の〔ア〕イコンとの隔たりを写真が感じさせるのは、この完全に物理的な生成によってである。つまり、大抵の絵画の描写的再現=表象の中で作用している組織的配列とか象徴的な意味の介在といったプロセスの入り込む余地を与えない、もしくはそうしたプロセスを短絡させるように見える、全くの物理的生成によってである。(ロザリンド・クラウスオリジナリティと反復: ロザリンド・クラウス美術評論集』)
    • トム・ガニング——インデックス論批判
      • インデックス的なものと写真的なものを同一視することは馬鹿げている。たいていのインデックス的な情報は、写真術によって記録されるのではない。〔…〕医療機器やその他の計測機器〔…〕は、すべてその情報を数値に変換していた〔…〕。写真は〔インデックスとアイコンという〕二つの記号類型を結合させているとはいえ、写真のインデックス的性質はその〔ア〕イコン性と混同されてはならない。数値行列は写真と似ていないという事実、あるいは写真が表象していると想定される何物かと似ていないという事実によって、何らかのインデックス的資格が損なわれることはない。そもそもインデックスは、それが表象するものと似ている必要はない(そして、似ていないことも多い)(トム・ガニング「インデックスの何が問題なのか? あるいはさまざまな偽造写真」、『映像が動き出すとき――写真・映画・アニメーションのアルケオロジー』)

写真論1 第6回

レポート課題

  • 興味のある写真を1点取り上げ、それが「何」を「どのように」表しているかを丁寧に記述した上で、講義で取り上げた理論なども参照の上、論述してください。
    • 字数:1000〜2000字
    • 形式:横書き、A4縦使い、PDF
    • 提出場所:クラスプロファイル
    • 提出締切:12月4日深夜 厳守!

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講義

  • 写真と痕跡
    • 痕跡の系譜
      • 絵画の起源神話
        • コリントスの都市シキュオンにおいて陶器を作っていたブタデスという人物がいた。その娘は、ある青年に恋をしていた。その青年が外国へ行こうとしていたとき、彼女はランプによって投げられた彼の顔の輪郭を壁の上に描いた。この素描を基にして、父ブタデスは、塑像を作った」(大プリニウス『博物誌』)。
      • 痕跡と影絵(シルエット)
        • 「私が観相学上の知識を多く得たのは、他の如何なる肖像画よりも、純然たる影絵の方からである。観相学は影絵以上に客観的真実性を裏づける確かな証拠を持たない。なぜなら、影絵は、自然から直接に型取りしたものであるから」(J・C・ラーファター『観相学断片』)。
      • デスマスク
        • デス・マスクの型取りもまた、再現の過程での一種の自動性を示している。この意味では、写真を、光という代理人による事物の型取りと見なすこともできるだろう。(バザン「写真映像の存在論」)
        • エルンスト・ベンカアト『永遠の貌』
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        • ライフマスクよ永遠に
      • 聖顔布とアケイロポイエートス(人の手に依らないイメージ)
      • 歌舞伎の押隈/宮武外骨の「無機械写真法」
      • ネット時代の聖像:「神の慈しみ」

芸術学特論2 第8回

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講義

  • 写真と痕跡性
    • アイコン=インデックス的記号としての写真――パース
      • アイコン的記号/インデックス的記号/シンボル的記号(C・S・パースによる記号の三分類)
        • インデックス的記号=対象物との物理的因果関係に基づく記号
      • 写真、特にスナップ写真は非常に有益である。というのは、それらが表意している対象にある点でまったくよく似ているということをわれわれが知っているからである。しかしこの類似性というのは、写真が一点一点物理的に自然と対応するよう強いられるという状況のもとで作られたという事実によるものである。そういう点で、それらは記号の第二のクラスつまり物理的結合による記号のクラスに属する。(チャールズ・サンダース・パースパース著作集2 記号学』、内田種臣訳、勁草書房、1986)
        • Photographs, especially instantaneous photographs, are very instructive, because we know that they are in certain respects exactly like the objects they represent. But this resemblance is due to the photographs having been produced under such circumstances that they were physically forced to correspond point by point to nature. In that aspect, then, they belong to the second class of signs, those by physical connection.
      • アイコン→メタファー(隠喩)、インデックス→メトニミー(換喩)
      • 呪術の二類型
        • 類感呪術=「似たものは似たものを生み出す」
          • 「類似の法則」=アイコン的、メタファー的な関係
        • 感染呪術=「かつてお互いに接触していたものは、その後、物理的な接触を持たなくなったのちも、引き続きある距離を置きながら互いに作用しあう」
          • 接触の法則」=インデックス的、メトニミー的な関係
            • サー・ジョージ・ジェームズ・フレーザー『図説 金枝篇
    • 写真映像の存在論――バザン
      • 画家という人間の存在ゆえに、絵画には疑いがつきまとった。〔…〕絵画と比べた場合の写真の独創性は、その本質的な客観性にある。〔…〕対象となる事物とその表象のあいだに、もうひとつの物以外に何も介在しないという事態が初めて生じたのだ。外部世界のイメージは初めて、人間の創造的介入なしに、動かしがたいプロセスに従って自動的に得られるようになった。〔…〕写真は花や雪の結晶のような「自然」現象として私たちに働きかける。〔…〕写真は事物からその写しへと、実在性が譲り渡されることの恩恵に浴している。〔…〕ボケていたり、変形や変色が生じていたり、資料的価値がなかったりするかもしれないが、しかし写真はその生成過程からして、モデルの存在自体に根ざしている。写真とはモデルそのものなのだ。
      • 〔…〕デスマスクもまた、一種の自動的な再現技術ではあるからだ。その意味で写真は、光による刻印の技術とみなすことができただろう。(アンドレ・バザン映画とは何か(上) (岩波文庫)』)
    • 写真=「コードのないメッセージ」――バルト
      • 写真のメッセージの中身は何だろうか。写真は何を伝えるのだろうか。当然、光景そのもの、そのものずばりの現実である。〔……〕現実そのものから写真に写すにあたって、現実を単位に細分して、それを写真が読むべきものとして与える対象とは素材の異なる記号として再構成する必要はまったくない。このオブジェと映像の間に中継物、すなわちコードを設定する必要はまったくない。たしかに映像は現実のものではない。しかし少なくともその完璧なアナロゴン〔相似物〕であって、常識的に写真を構成するのはまさしくこの類似の完全性なのである。こうして写真映像の特殊な位置づけがでてくる。写真はコードのないメッセージであるという位置である。(ロラン・バルト「写真のメッセージ」『映像の修辞学』、あるいは『第三の意味 新装版: 映像と演劇と音楽と
    • 「それは=かつて=あった」
      • 「写真」が数かぎりなく再現するのは、ただ一度しか起こらなかったことである。〔……〕写真は、「ほら、これです、このとおりです!」と言うだけで、ほかのことは何も言わない。写真は哲学的に変換する(言葉にする)ことはできない。〔……〕「写真」は何か目の前にあるものを指さすのであって、そうした純粋に指呼的な言語活動の域を脱することができない。(10)
      • 私が《写真の指向対象》と呼ぶものは、ある映像またはある記号によって指し示されるものであるが、それは現実のものであってもなくてもよいというわけではなく、必ず現実のものでなければならない。それはカメラの前に置かれていたものであって、これがなければ写真は存在しないであろう。〔……〕絵画や言説における模倣とちがって、「写真」の場合は、事物がかつてそこにあったということを決して否定できない。〔……〕それゆえ、「写真」のノエマ現象学的な本質〕の名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。〔……〕それはかつてそこにあった、がしかし、ただちに引き離されてしまった。それは絶対に、異論の余地なく現前していた。がしかし、すでによそに移され相異している。
      • 写真とは文字どおり指向対象から発出したものである。そこに存在した現実の物体から、放射物が発せられ、それがいまここにいる私に触れにやって来るのだ。〔……〕私は、かつて存在したものがその直接的な放射物(その光)によって実際に触れた写真の表面に、こんどは私の視線が触れにいくのだと考えるとひどく嬉しくなる(あるいは暗い気持ちになる)〔……〕(ロラン・バルト明るい部屋―写真についての覚書』)
    • ロザリンド・クラウス――指標論
      • あらゆる写真は、光のもろもろの反映を感光紙の表面上に転写した物理的痕跡なのである。写真はそれ故、〔ア〕イコンつまり視覚的類似の一種であるが、対象に対し指標〔インデックス〕的関係を持っているのである。真の〔ア〕イコンとの隔たりを写真が感じさせるのは、この完全に物理的な生成によってである。つまり、大抵の絵画の描写的再現=表象の中で作用している組織的配列とか象徴的な意味の介在といったプロセスの入り込む余地を与えない、もしくはそうしたプロセスを短絡させるように見える、全くの物理的生成によってである。(ロザリンド・クラウスオリジナリティと反復: ロザリンド・クラウス美術評論集』)
    • トム・ガニング——インデックス論批判
      • インデックス的なものと写真的なものを同一視することは馬鹿げている。たいていのインデックス的な情報は、写真術によって記録されるのではない。〔…〕医療機器やその他の計測機器〔…〕は、すべてその情報を数値に変換していた〔…〕。写真は〔インデックスとアイコンという〕二つの記号類型を結合させているとはいえ、写真のインデックス的性質はその〔ア〕イコン性と混同されてはならない。数値行列は写真と似ていないという事実、あるいは写真が表象していると想定される何物かと似ていないという事実によって、何らかのインデックス的資格が損なわれることはない。そもそもインデックスは、それが表象するものと似ている必要はない(そして、似ていないことも多い)(トム・ガニング「インデックスの何が問題なのか? あるいはさまざまな偽造写真」、『映像が動き出すとき――写真・映画・アニメーションのアルケオロジー』)

写真論 第5回

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芸術学特論2 第7回

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  • 痕跡を記録する:フォトジェニック・ドローイング(光による素描)とサイアノタイプ(青写真)
  • 写真の痕跡論
    • アイコン=インデックス的記号としての写真――パース
      • アイコン的記号/インデックス的記号/シンボル的記号(C・S・パースによる記号の三分類)
        • インデックス的記号=対象物との物理的因果関係に基づく記号
      • 写真、特にスナップ写真は非常に有益である。というのは、それらが表意している対象にある点でまったくよく似ているということをわれわれが知っているからである。しかしこの類似性というのは、写真が一点一点物理的に自然と対応するよう強いられるという状況のもとで作られたという事実によるものである。そういう点で、それらは記号の第二のクラスつまり物理的結合による記号のクラスに属する。(チャールズ・サンダース・パースパース著作集2 記号学』、内田種臣訳、勁草書房、1986)
      • アイコン→メタファー(隠喩)、インデックス→メトニミー(換喩)
      • 呪術の二類型
        • 類感呪術=「似たものは似たものを生み出す」
          • 「類似の法則」=アイコン的、メタファー的な関係
        • 感染呪術=「かつてお互いに接触していたものは、その後、物理的な接触を持たなくなったのちも、引き続きある距離を置きながら互いに作用しあう」
          • 接触の法則」=インデックス的、メトニミー的な関係
            • サー・ジョージ・ジェームズ・フレーザー『図説 金枝篇
    • 写真映像の存在論――バザン
      • 画家という人間の存在ゆえに、絵画には疑いがつきまとった。〔…〕絵画と比べた場合の写真の独創性は、その本質的な客観性にある。〔…〕対象となる事物とその表象のあいだに、もうひとつの物以外に何も介在しないという事態が初めて生じたのだ。外部世界のイメージは初めて、人間の創造的介入なしに、動かしがたいプロセスに従って自動的に得られるようになった。〔…〕写真は花や雪の結晶のような「自然」現象として私たちに働きかける。〔…〕写真は事物からその写しへと、実在性が譲り渡されることの恩恵に浴している。〔…〕ボケていたり、変形や変色が生じていたり、資料的価値がなかったりするかもしれないが、しかし写真はその生成過程からして、モデルの存在自体に根ざしている。写真とはモデルそのものなのだ。
      • 〔…〕デスマスクもまた、一種の自動的な再現技術ではあるからだ。その意味で写真は、光による刻印の技術とみなすことができただろう。(アンドレ・バザン映画とは何か(上) (岩波文庫)』)

写真論1 第4回

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芸術学特論2 第6回

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芸術学特論2 第5回

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写真論1 第3回

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芸術学特論2 第4回

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