ポピュラーカルチャー学部音楽コース ゲスト・レクチャー

表現ナビ レポート・リテラシー

講義

  • 自分/他人の作品を紹介する
    • 「作品」とその外部
      • 額縁、タイトル、キャプション、解説文、展覧会場、ギャラリー・トーク、カタログ
    • 作品とキャプション
    • 比喩としての作品タイトル
      1. 記述(換喩/提喩)タイプ
      2. メタファー(隠喩)タイプ
      3. 「無題」タイプ
    • メディアを記述する
      • 絵画=支持体+絵具 
        • 例:紙に水彩(水彩・紙)、絹本著色
      • 版画=版の技法
      • 印刷=刷りの技法
      • 写真=プリント技法
        • 例:ゼラティン・シルヴァー・プリント、ラムダ・プリント
      • 映像=記録メディア
        • 例:16mmフィルム、ヴィデオ
      • 立体/彫刻=素材(時に技法)
        • 例:ブロンズ、寄木造
      • 陶芸・漆芸=技法+器形(これがタイトルになることも)
        • 例:青磁平皿、蒔絵手箱
      • テキスタイル=技法+素材
        • 例:型染・綿・反応性染料、綴織・綿糸・ウール紙
      • その他
    • サイズを記述する
      • 縦x横(あるいは径)x高
  • 作品を記述することとは?
    • 作品の内容と形式=「何」を「どのよう」に表しているか
      • 内容=描写対象、被写体、物語、思想、機能など
      • 形式=形態、色、構図、構成、メディア、使う道具など
      • マット・マドン『コミック 文体練習

ゲスト講義 デザイン史1

講義

  • ヴァナキュラーの捜索としての考現学路上観察
    • 超芸術トマソン赤瀬川原平
    • 路上観察学会(1986年)
    • 考現学
      • 今和次郎&吉田謙吉を中心とした都市の細部、痕跡を「採集」する行為
      • 今和次郎の民家研究と採集
      • 「建築外の建築」
        • 「このような建築外の建築――人間がそのいる場所に、無意識のうちに築いている、いろいろな跡、すなわちいろいろなものをとり散らかしている有様そのまま――に厳密な態度で注意を突進めると、人間の動作の源泉の真理を考えることになる(「土間の研究図」)
      • 建築への「空間」的視座
      • バラック装飾社
      • 考現学採集
        • 「動物学者や植物学者が動物や植物に対してもつ態度と、われわれがわれわれの対象たる文化人に向けるのと変わりがないのである。考古学の態度と照らしてみると、それは遺物遺跡にたいする心境である。街のショーウィンドーの品物を歴史博物館の陳列品と同列に見るのである」。
        • 「東京銀座街風俗記録」(1925年)
  • ブリコラージュ
    • 間に合わせ、あり合わせの素材と道具を用いて新しいモノを作り出す器用仕事のこと。
      • 本来は、部族社会における活動を指すが、現代の資本主義社会において、既製の商品を使って新たな意味を作り出す作業のことも
  • モノと人間:物質文化論
    • 物質文化を研究する目的のためには、あらゆる人工物が、私たちが伝統的に美術作品に適用してきた類の視覚的分析の有効な対象となる。そうした分析の目標は、人工物の作成に潜む精神のパターンを発見することにある。こうしたパターンは、しばしば――実際のところ普通に――隠喩的な性質を持つ。人工物は、人間の条件の諸側面――存在、活動、関係、欲求、恐怖、希望の諸状態――の隠喩であり、それらを具体化していることもある。それらの隠喩は、作成者が個人であれ、集団的(社会)であれ、言語化するほど認識していない、もし気づいていたとしても大っぴらに表現することをためらうような所信を反映している時、もっとも有効に精神のパターンを現出する。
    • ある時代の家具の種類や数量、それらの部屋への出現などには、人間の振る舞い方や人間どうしの関係、さらには「もの」と人間の関係があらわれてくる。
    • ある文化の家具の歴史は家具の歴史は、その文化の身体の歴史を素描する。もちろん、家具のみならず「身体」に関する諸道具の歴史は、それぞれの道具の「身体」への関係の仕方によって、異なる身体の歴史を描いているものである。
    • 「身体」(についての認識)が、決して言語によって思考されることのないまま「もの」において変わりはじめた。

都市表層研究所テグラ「街角タイルの採集と補修」

「不純な技術–街角タイルと文化の真正性」

京都大学総合人間学部 メディア・スタディーズ

講師自己紹介

講義

  • 写真と痕跡
    • アイコン的記号/インデックス的記号/シンボル的記号(C・S・パースによる記号の三分類)
      • インデックス的記号=対象物との物理的因果関係に基づく記号
        • 「写真、特にスナップ写真は非常に有益である。というのは、それらが表意している対象にある点でまったくよく似ているということをわれわれが知っているからである。しかしこの類似性というのは、写真が一点一点物理的に自然と対応するよう強いられるという状況のもとで作られたという事実によるものである。そういう点で、それらは記号の第二のクラスつまり物理的結合による記号のクラスに属する」(『パース著作集2 記号学』)
    • 痕跡のメディア
      • 光の痕跡=インデックス的記号としての写真
      • 絵画の起源神話
        • コリントスの都市シキュオンにおいて陶器を作っていたブタデスという人物がいた。その娘は、ある青年に恋をしていた。その青年が外国へ行こうとしていたとき、彼女はランプによって投げられた彼の顔の輪郭を壁の上に描いた。この素描を基にして、父ブタデスは、塑像を作った」(大プリニウス『博物誌』)。
      • 痕跡と影絵(シルエット)
        • 「私が観相学上の知識を多く得たのは、他の如何なる肖像画よりも、純然たる影絵の方からである。観相学は影絵以上に客観的真実性を裏づける確かな証拠を持たない。なぜなら、影絵は、自然から直接に型取りしたものであるから」(J・C・ラーファター『観相学断片』)。
    • 写真イメージの存在論――バザン
      • そこ〔絵画〕に人間が介在するということが、画像の上に疑惑の影をいつまでも投じていた。〔……〕絵画と比べての写真の独自性は、その本質的な客観性にある。〔……〕最初の事物とその表現の間にもう一つの事物〔カメラないしはレンズ〕以外は何一つ介在しないというのは、これがはじめてのことだった。厳密な決定論に従えば、外部世界の像が人間の創造的干渉なしに自動的に形成されるというのは、これが初めてのことだった。〔……〕写真は、〔……〕《自然現象》としてわれわれに働きかけるのである。〔……〕写真は、事物からその再現物への実在性の移動によって利益を得ている。〔……〕写真の映像も、ピントが外れてぼやけたり、形が歪んだり、色が変化したり、資料的価値がなかったりすることがあるかもしれないが、その生まれてくる過程を考えれば、それはやはりモデルの本体から生じてきたものなのである。写真の映像は、モデルそのものなのである。
      • デス・マスクの型取りもまた、再現の過程での一種の自動性を示している。この意味では、写真を、光という代理人による事物の型取りと見なすこともできるだろう。
      • 本来なら、ここで、ミイラ・コンプレックス〔死後の永遠の生命の永続を求める心性〕に由来する実在性の移動によって、同様に利益を得ている《聖なる遺物》と《形見》との心理学についても、検討しておかなければならないところだろう。だが、今はただ、「トリノの聖なる屍衣」が、《聖なる遺物》と写真との綜合を果たしているということだけを指摘しておこう。(アンドレ・バザン「写真映像の存在論」『映画とは何か』2、美術出版社、1970)
        • (参考)聖史上のある人物と接触を持ったとみなされるあらゆる品――その人物の体の一部をはじめとして――が聖遺物と見なされていた〔……〕〔それは〕聖人が生前に持っていた恩寵をそっくり保持していた。(クシシトフ・ポミアン『コレクション―趣味と好奇心の歴史人類学』、吉田城、吉田典子訳、平凡社、1992)
    • 写真=「コードのないメッセージ」――バルト
      • 写真のメッセージの中身は何だろうか。写真は何を伝えるのだろうか。当然、光景そのもの、そのものずばりの現実である。〔……〕現実そのものから写真に写すにあたって、現実を単位に細分して、それを写真が読むべきものとして与える対象とは素材の異なる記号として再構成する必要はまったくない。このオブジェと映像の間に中継物、すなわちコードを設定する必要はまったくない。たしかに映像は現実のものではない。しかし少なくともその完璧なアナロゴン〔相似物〕であって、常識的に写真を構成するのはまさしくこの類似の完全性なのである。こうして写真映像の特殊な位置づけがでてくる。写真はコードのないメッセージであるという位置である。(ロラン・バルト「写真のメッセージ」『映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)』)
    • 「それは=かつて=あった」
      • 「写真」が数かぎりなく再現するのは、ただ一度しか起こらなかったことである。〔……〕写真は、「ほら、これです、このとおりです!」と言うだけで、ほかのことは何も言わない。写真は哲学的に変換する(言葉にする)ことはできない。〔……〕「写真」は何か目の前にあるものを指さすのであって、そうした純粋に指呼的な言語活動の域を脱することができない。(10)
      • 私が《写真の指向対象》と呼ぶものは、ある映像またはある記号によって指し示されるものであるが、それは現実のものであってもなくてもよいというわけではなく、必ず現実のものでなければならない。それはカメラの前に置かれていたものであって、これがなければ写真は存在しないであろう。〔……〕絵画や言説における模倣とちがって、「写真」の場合は、事物がかつてそこにあったということを決して否定できない。〔……〕それゆえ、「写真」のノエマ現象学的な本質〕の名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。〔……〕それはかつてそこにあった、がしかし、ただちに引き離されてしまった。それは絶対に、異論の余地なく現前していた。がしかし、すでによそに移され相異している。
      • 写真とは文字どおり指向対象から発出したものである。そこに存在した現実の物体から、放射物が発せられ、それがいまここにいる私に触れにやって来るのだ。〔……〕私は、かつて存在したものがその直接的な放射物(その光)によって実際に触れた写真の表面に、こんどは私の視線が触れにいくのだと考えるとひどく嬉しくなる(あるいは暗い気持ちになる)〔……〕(ロラン・バルト明るい部屋―写真についての覚書』)
    • ロザリンド・クラウス――指標論
      • あらゆる写真は、光のもろもろの反映を感光紙の表面上に転写した物理的痕跡なのである。写真はそれ故、イコン〔アイコン〕つまり視覚的類似の一種であるが、対象に対し指標〔インデックス〕的関係を持っているのである。真のイコン〔アイコン〕との隔たりを写真が感じさせるのは、この完全に物理的な生成によってである。つまり、大抵の絵画の描写的再現=表象の中で作用している組織的配列とか象徴的な意味の介在といったプロセスの入り込む余地を与えない、もしくはそうしたプロセスを短絡させるように見える、全くの物理的生成によってである。《象徴的なもの》が、対象と意味とを結びつけつつ再現=表象の諸形式の背後で働いている人間の意識によって、絵画芸術に通じているのだとすれば、写真はそうではない。写真の力は指標としての力であり、その意味は、既述のような《想像的なもの》と結びついた同一視の様態にあるのである。(ロザリンド・クラウスオリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集』)
    • 呪術の二類型
      • 類感呪術=「似たものは似たものを生み出す」
        • 「類似の法則」=アイコン的、メタファー的な関係
      • 感染呪術=「かつてお互いに接触していたものは、その後、物理的な接触を持たなくなったのちも、引き続きある距離を置きながら互いに作用しあう」
        • 接触の法則」=インデックス的、メトニミー的な関係
          • サー・ジョージ・ジェームズ・フレーザー『図説 金枝篇
  • 遺影写真:痕跡と記憶
    • 遺影写真とは?
      • 遺影写真と没後写真
      • ヴァナキュラー写真
    • 遺影と肖像
      • 肖像の真正性
      • 写真の真正性
    • 死者を想い出す
      • アイコンとインデックスの併用=ミニアチュール絵画と遺髪
      • 二重のインデックス=写真と遺髪
    • 肖像から遺影へ
      • 遺影を飾ること
      • 影絵から写真へ
      • 肖像写真のアウラ
      • 天皇の「真影」:儀式と物神化=フェティッシュとしての肖像
    • 遺影と擬写真

工芸繊維大レクチャー

講義

  • 西洋画と写真から見る日本近代
    • 江戸の遠近法
    • 開国以降
      • 西洋画法の研究
      • 工部美術学校と「百工の補助」
      • 写真と洋画
    • 近代的美術制度の成立
      • 翻訳語としての「美術」=1873年・ウィーン万博出品目録
      • 美術教育と美術学校
      • 文展

日本の美術学校の歴史(戦前)

レポート課題

  • 自らの興味のある視覚的イメージを一点選び、それを講義で触れた科学/技術と視覚文化の関係を踏まえた上で論述してください。
    • 1200~2000字程度
    • 取り上げたイメージの図版を添付してください(白黒コピーでも可)

現代の芸術・文化について

  • 「芸術/アート」とはなにか?
    • げい‐じゅつ【芸術】:『広辞苑』の定義
      1. 後漢書孝安帝紀]技芸と学術。
      2. (art) 一定の材料・技術・様式を駆使して、美的価値を創造・表現しようとする人間の活動およびその所産。造形芸術(彫刻・絵画・建築など)・表情芸術(舞踊・演劇など)・音響芸術(音楽)・言語芸術(詩・小説・戯曲など)、また時間芸術と空間芸術など、視点に応じて種々に分類される。
    • 一般的/古典的な「芸術」に関する定義=「芸術とは、剽窃であってはならない。つまりそれは、だれかある個人が、自分の手でつくったものであり、しかも過去にすでにあるものを模倣したり剽窃したりするのではなく、かれの「独創」によるものでなくてはならない。そのような意味で、芸術とは「創造」なのである。こうして創造された作品は、たんなる器具のような有用性に意味がある品物ではなく、とりわけ便器のような卑俗な、さらには不道徳なものであってはならない。作品は、独創において他からくっきりと際だたせられた一個の自立的な存在として、それ自体に固有の意味と価値をもち、またその価値において、これを鑑賞する者の教養や趣味の陶冶をつうじて、あるべき人間性と道徳をたかめるものでなければならない(西村清和『現代アートの哲学』)」。←これって今でも有効か?
    • 「価値的」用法と「記述的」用法
    • 「art」の用法の歴史
    • 誰が「芸術/アート」を定義するのか
      • アートワールドと制度
        • Arthur Danto, "The Artworld," The Journal of Philosophy, Vol.61, No.19, 1964
  • 絵画における「モダニズム」とは?
    • 18世紀末のロマン派 古典古代を模倣するのではなく、自らに固有の芸術を創造する。
      • →芸術の自律性=宗教や政治とは区別された自立した領域。
    • 19世紀末から20世紀にかけてのモダニズム
      • 独創的な芸術家、つまり天才は、その創造の力において、他のものに先んじて未来を予測し、切り開く
          • 「〔19世紀以来の近代資本主義の文化的表現〕では、制度や慣習がどうであれ、私は自分をこのように表現するという、近代的な主体の表現としての芸術が目指される。〔…〕それにあたって、〔…〕絵画は絵画に固有のランゲージ、音楽は音楽に固有のランゲージへと、自己批判を通じて自己純化をしていけばいい〔…その結果〕一方には、芸術家というハダカの主体、他方には絵画でいえば平面の上での色とかたち、音楽でいえば時間の中での音の組織の展開だけが残る。(浅田彰ポストモダン・アート」、『ur』No.2, ペヨトル工房、1990)
        • →アヴァン=ギャルド(前衛)
      • 「進歩する美術」=進化論(社会的ダーウィニズム)的な考え方
    • 現代日本の美術/デザイン系高等教育
      • いわゆる「美大」:京芸、精華、京造、嵯峨芸
      • 師範学校→教育大/教育学部の美術教育専攻:京教
      • 工学部の建築/デザイン系専攻:京大、工繊
      • 女子学校→女子大の家政学部などからの流れ:府立大
      • その他一般の大学から:立命、花園、大谷

日本の美術学校の歴史(戦前)

超京都2013「現代美術@平成の京町家」

宣伝

佐藤守弘「フジヤマの両義性――地理学とピクチャレスク」所収


https://satow-morihiro.hatenablog.com/


はてなダイアリーのサービス終了のため、講義情報ページをはてなブログに移行しました。以前の記事にアクセスすると、ここに自動的にリダイレクトされるようにしています。

19年度前期芸術学A視覚文化論デザイン論特講1デザイン理論特講(大学院)/a> 講演、特別講義など

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