第6週

予定

補足

『1900年以降の美術』1

先週と今週に受講者に発表してもらった「1910-1919」の翻訳を僕が手直ししたものです。

  • 1910=アンリ・マティスの《ダンスII》と《音楽》が、サロン・ドートンヌにて酷評される:マティスは、それらの作品において、自身の「装飾性」のコンセプトを極限にまで推し進めて、じっくりと見ることができないほどの広がりのある色の視覚的領域を創りだした。
  • 1911=パブロ・ピカソが「借りていた」イベリアの石頭をルーヴル美術館――そこから盗まれていた――に返す:ピカソは、そのプリミティヴィズムの様式を変え、ジョルジュ・ブラックと共に分析的キュビスムを展開させはじめる。
  • 1912=キュビスムにおけるコラージュが、様々な闘争的状況や事件が起こっているただ中で創出される:象徴主義詩からの不断の刺激、ポピュラー文化の勃興、社会主義者たちのバルカンにおける戦争〔第一次世界大戦〕に対する抗議など。
  • 1913=ロベール・ドローネーが「窓」シリーズの絵画をベルリンで展覧する:抽象における初期の問題やパラダイムがヨーロッパのいろいろな場所で作り上げられていく。
  • 1914=ウラジミール・タトリンが、彼の言う構成物を展開させ、マルセル・デュシャンは、彼の言うレディメイドを提示する――はじめはキュビスムの変容として、続いてはキュビスムの破壊として:そうすることによって、伝統的な芸術のメディアに対する補足的な批判となる。
    • コラム:「熊の毛皮」
  • 1915=カジミール・マレヴィチがペトログラードにおける「0.10」展でシュプレマティズム絵画を展示する:それは、ロシア・フォルマリズムにおける芸術、文学理論を持ち込んだものであった。
  • 1916a=チューリッヒで、ダダの国際運動が立ち上げられたが、それは、第一次世界大戦の惨禍と未来派表現主義の挑戦に応えた二重の反応であった。
    • コラム:ダダの雑誌
  • 1916b=ポール・ストランドが、アルフレッド・スティーグリッツの雑誌『カメラ・ワーク』のページを飾る:アメリカのアヴァン=ギャルドは、写真と他の芸術との複雑な関係の上に成り立つこととなる。
  • 1917=ピエト・モンドリアンは、二年間集中的に研究した後、抽象へと邁進することとなる。間をおかずに、『デ・スティル』――芸術と建築における抽象という目的に捧げられたもっとも早いアヴァン=ギャルド誌――が創刊されることとなる。
  • 1918=マルセル・デュシャンが、《Tu m'》を描く:それは、彼の作品において企てられるさまざまな発展――偶然の利用、レディメイドの振興、写真の「インデックス」としての地位など――を要約したものであった。
    • コラム:ローズ・セラヴィ
  • 1919=パブロ・ピカソが13年間で初めての個展をパリで開催する:彼の作品におけるパスティーシュのはじまりと時を同じくして、反モダニズム的な反動が広まることとなる。
    • コラム:セルゲイ・ディアギレフとバレエ・ルス
    • コラム:『無秩序と考えられた秩序について』

https://satow-morihiro.hatenablog.com/


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