予定
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- 名所から風景へ
- 「風景の発見」(柄谷行人『日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)』)
- 名所絵の見たもの=「実朝も芭蕉もけっして『風景』をみたのではない。彼らにとって、風景は言葉であり、過去の文学にほかならなかった」
- 「風景がいったん成立すると、その起源は忘れさられる・・・それは、はじめから外的に存在する客観物のようにみえる。ところが、客観物なるものは、むしろ風景のなかで成立したのである。主観あるいは自己もまた同様である。主観(主体)・客観(客体)という認識論的な場は、「風景」において成立したのである。つまりはじめからあるのではなく、「風景」のなかで派生してきたのだ」
- 「文化的な媒体としての風景は、イデオロギーにも似た二重の役割を果たす。〔両者とも〕文化的、社会的に構築されたものを自然化する〔あたかも自然にできたもののように見せかける〕」(W・J・T・ミッチェル→Topography - 蒼猴軒日録)
- 「風景の発見」(柄谷行人『日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)』)
- 名所から風景へ
- ピクチャレスク美学と「風景」の誕生
- グランド・トゥアーと風景の発見
- ピクチャレスクという美的(感性論的)カテゴリー:「美」と「崇高」のあいだに
- ピクチャレスク・トゥアーと風景式庭園
- 観光と風景
- 観光のまなざし=「観光とは、日常から離れた景色、風景、町並みなどに対してまなざしを投げかけることなのだ」(J・アーリ『観光のまなざし―現代社会におけるレジャーと旅行 (りぶらりあ選書)』)