東京理科大学 教養概論

ストリートの記号論——モッズ・パンクス・ルード・ボーイズ

  • ポピュラー・カルチャーとサブカルチャー
    • 「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダーセクシュアリティエスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする。(佐藤 2022a)
  • 衣服の分類
    • コスチューム ファッション/モード ストリート・スタイル
  • 衣服の諸機能
  • サブカルチャーとスタイル
    • テディ・ボーイズ
      • ロックン・ロール+エドワード7世時代(1901-10)のスタイル→上流階級の「パロディ」による階級の乗り越え
    • モッズ
      • クール・ジャズを好んでいたモッドたち——すなわち複数形でモッズmods——は、着る衣服、乗り物、ダンスの仕方、服用するドラッグ、行動や振る舞いに至るまで徹底的に細部に——たとえばジャケットのボタンの数やベントの長さ、パンツの裾幅など——こだわり、独自の文化のスタイルを手作りで編み上げた。多くは三つボタンの細身のスーツを着て、イタリア製のスクーターで集団走行をし、「パープル・ハーツ」と呼ばれる軽い覚醒剤を服用して、クラブで朝まで踊り続けるといったライフ・スタイルで知られた。彼ら——圧倒的に男性中心のホモソーシャルな文化集団であった——の音楽の好みは、六〇年代に入ると段々とアメリカのリズム・アンド・ブルースに傾いていく。(佐藤守弘 2022a)
      • 元々のモッド・スタイルは、その名の通りモダニズム的なものであった〔…〕その例が、スーツなどに見られるミニマリズム的な傾向——狭いラペル、三つボタンによる小さなVゾーン、細いネクタイ、ボタン・ダウン・シャツ、細いパンツなど——である。このニートでシャープでクールなミニマリズムと、華美で過剰なポップは、本来相容れるものではなかったはずである。それが組み合わさることは、そのサブカルチャーの変質につながったはずである。〔…〕もともとはアンダーグラウンドな存在であったモッズは、一九六三年にはじまったテレビでの音楽番組『レディ・ステディ・ゴー!』で踊るオーディエンスとして登場するようになり、マスメディアの注目を集めるようになる。〔…〕アンダーグラウンドであったモッド・カルチャーは、マスメディアに注目されることでポップ・カルチャーの一部となり、そのなかに飲み込まれていく。(佐藤 2022a)
    • ルード・ボーイズ
      • 1948年にウィンドラッシュ号はイギリス領ジャマイカからロンドンまで、1027人の乗客(と2人の密航者)を送り届ける——その活動は71年まで続いた。船に乗ってやってきたカリブ海からの移民たちは、もともとはプランテーションなどでの労働力としてイギリス帝国により西アフリカからジャマイカなどのイギリス領西インド諸島に奴隷として連行された人びとの末裔であったが、今度はイギリス本国の労働力不足を補うために募集されたのであった。〔…〕イギリスに移り住んだカリブ系やアフリカ系〔…〕の移民は、ロンドンではブリクストンやノティング・ヒルなどに集住し、人種差別の厳しい中で共同体を形成していく。〔…〕彼らは、トリニダードカリプソや西アフリカのハイライフなどの音楽も伴ってきた。1950年代のロンドンには、フラミンゴなど、UKブラックたちが着飾って集まるナイトクラブやサウンド・システム(移動式のディスコ)もできていく。そうした場所で見られた移民たちのスタイルは、白人の若者たちの憧れの的であり、モッドと呼ばれたサブカルチャーも、そういった憧れの中から形成されていったとブロードキャスターピーター・バラカンは述べている。(佐藤 2022b)
      • ジャマイカとイギリスの間での人的移動に伴って、ルード・ボーイ文化もイギリスにやってくる。ルード・ボーイたちはスカやレゲエを流すサウンド・システムやクラブに出入りするようになるが、そこには白人の若者のレゲエ・ファンたちもいた。そうしたファンたちは、ルード・ボーイたちのスタイルを真似するようになる。スキンヘッド・サブカルチャーの勃興である。〔…〕このように植民者・イギリスと植民地・カリブ諸地域——さらにはその起源としてのアフリカ——という複数の文化が出会い、衝突し、混合した時に生まれたのが、スキンヘッドというサブカルチャーであったと言える。(佐藤 2022b)
      • Programs : Dennis Morris | KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭
    • パンクス
      • さまざまなスタイルから奪ってきた要素を破壊的に組み合わせる=ブリコラージュ的戦術
      • そのプロジェクトのリーダーが、毀誉褒貶激しいマネージャーのマルコム・マクラレンであることは間違いないだろう。そしてプロジェクトの構成員とは、当時のマクラレンのパートナーで衣装面を担当したヴィヴィアン・ウェストウッドと、マクラレンの美術学校での級友でグラフィック面を担当したジェイミー・リードであったと考えてみよう。衣装、グラフィックと、視覚に訴える側面を支える人間がプロジェクトに入っていたこと——もちろんマクラレン自身も美術学校で教育を受けた人間である——が、セックス・ピストルズというプロジェクトを従前のロック・バンドとは一線を画する存在にしたのではないかと私は考えている。(佐藤 2021b)
      • シチュアシオニストとは、ギー・ドゥボールやラウル・ヴァネイジェムが中心となった、ダダやシュルレアリスムの流れを汲み、状況にはたらきかけることを主張した反芸術的芸術運動であり、社会主義者の国際組織「インターナショナル」にならって、その組織名を「シチュアシオニスト・インターナショナル」(以後SI)と名付けたのである。〔…〕マクラレンがザ・セックス・ピストルズを作り上げるときに利用したのが、スペクタクルをもってスペクタクルを愚弄し、嘲笑するというシチュアシオニストの「転用」の戦術であったのだろう。ウェストウッドが精神科で用いられていた拘束衣をボンテージ・スーツへと変容させたのも、リードがポスターやアルバムのグラフィック・デザインをマスメディアで出回っている写真や、新聞の文字の切り貼りで作ったのも、この転用であったと考えられる。(佐藤2021a)
      • 「ブリコラージュ」とは、人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが神話の構造を理解するために使った用語で、もともとは日曜大工のような「器用仕事」のことを意味する。レヴィ=ストロースは、たとえばエンジニアが製品を作るときには、最後の最後まで徹底的に設計をして、それに合う部品を調達したり製造させたりして作るのに対し、ブリコルール(ブリコラージュをする人)は、手許にある種々雑多なモノを寄せ集め、それらの本来の用途とは別の使い方をするのであると述べた。(佐藤 2021a)
      • フォトモンタージュ(photomontage)」とは、広義には多重露光やコンピュータを使った合成写真のことも含むが、ここで取り上げるのは、20世紀初期のアヴァン・ギャルド芸術で用いられることの多かった、写真を切り貼りして編集し、それを再撮影してプリントに仕上げたものを指す——写真だけではなく、雑誌などの文字も切り貼りされることも多かった。(佐藤 2021c)
      • シチュアシオニストとパンクの見えざるつながりを顕にした大著『リップスティック・トレーシーズ——20世紀の秘密の歴史』(1989年)を書いたグリール・マーカス(Greil Marcus, 1945-)は、同著で「レトリスト・インターナショナルシチュアシオニストの前身〕の政治批評家は、シュルレアリストのナイフとダダの爆弾のどのような破片が残っているのかについて語っていた。今、私にとっては、レトリスト・インターナショナル(その名の下で自分自身を楽しませ、世界を変える方策を求めて、ほんの数年間団結していた数人の若者たち)自体が——当時は気づかれなかったものの——爆弾であり、その数十年後に「アナーキー・イン・ザ・UK」や「ホリデイズ・イン・ザ・サン」〔ともにザ・セックス・ピストルズの曲名〕として爆発することになったのだ 」と述べ、文化における隠された系譜を腑分けした。(佐藤 2021a)
      • ディック・ヘブディッジは、パンクがレゲエに接近したことを、ブラックのエスニシティをパンクたちが「ホワイト・エスニシティ」として翻訳したと捉える。それは、強い民族的な性格を持っている移民の文化と、それを取り囲む地元の労働者文化の間の対話を、矛盾と緊張をはらみながらもたらしたという 。ポール・ギルロイは、この指摘を踏まえて「白人のエスニシティはドレッド文化の追放された黒さ(ブラックネス)に併置されると同時に、その黒さに応答するものだったのであり、両者はひそかにつながっていた 」と述べる。(佐藤 2022c)

https://satow-morihiro.hatenablog.com/


はてなダイアリーのサービス終了のため、講義情報ページをはてなブログに移行しました。以前の記事にアクセスすると、ここに自動的にリダイレクトされるようにしています。

19年度前期芸術学A視覚文化論デザイン論特講1デザイン理論特講(大学院)/a> 講演、特別講義など

前学期までの講義情報総合情報シラバス