芸術学特論(1) 第7回
先々週、先週の補足
- 文献情報(漏れがあるとは思います)
- レイモンド・ウィリアムズ『完訳 キーワード辞典 (平凡社ライブラリー)』
- 柳父章『翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)』
- リチャード・ホガート『読み書き能力の効用 新装版 (晶文社アルヒーフ)』
- ロラン・バルト「作者の死」『物語の構造分析』
- 増田聡『その音楽の<作者>とは誰か リミックス・産業・著作権』
- ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク (ちくま学芸文庫)』
- 西村清和編『分析美学基本論文集』
講義
- さまざまな「カルチャー」
- ハイ・カルチャー=高級文化
- ロー・カルチャー=低級文化。被支配者層の文化
- ポピュラー・カルチャー=民衆文化。近代に限らない。
- マス・カルチャー=大衆文化。多くの人達のために大量に作られる文化。複製技術を前提にする。
- ポップ・カルチャー=ポピュラー・カルチャーと同義にも用いられることもあるが、つかの間の流行といった意味も持つ。
- サブカルチャー=主流(ドミナント)ではない、周縁的な文化。
- カウンター・カルチャー=サブカルチャーのうち、主流文化に対する対抗的/反抗的な性格が強いもの
- 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダー/セクシュアリティ、エスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする」。
-
- サブカルチャーから「文化」を考える
-
-
- コスチューム/ファッション/ストリート・スタイル
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A Fred Perry Subculture Films #2: This Is A Modern World
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- サブカルチャーとブリコラージュ的戦術
- 戦略 Strategy vs. 戦術 Tactics
- ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)』
- ブリコラージュ
- ブリコラージュ的戦術
- ディック・ヘブディジ『サブカルチャー―スタイルの意味するもの』
- 戦略 Strategy vs. 戦術 Tactics
- サブカルチャーとブリコラージュ的戦術
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写真論1 第6回
講義
- 写真と痕跡
- アイコン=インデックス的記号としての写真――パース
- アイコン的記号/インデックス的記号/シンボル的記号(C・S・パースによる記号の三分類)
- インデックス的記号=対象物との物理的因果関係に基づく記号
- 写真、特にスナップ写真は非常に有益である。というのは、それらが表意している対象にある点でまったくよく似ているということをわれわれが知っているからである。しかしこの類似性というのは、写真が一点一点物理的に自然と対応するよう強いられるという状況のもとで作られたという事実によるものである。そういう点で、それらは記号の第二のクラスつまり物理的結合による記号のクラスに属する。(チャールズ・サンダース・パース『パース著作集2 記号学』、内田種臣訳、勁草書房、1986)
- アイコン→メタファー(隠喩)、インデックス→メトニミー(換喩)
- 瀬戸賢一『メタファー思考 (講談社現代新書)』
- 呪術の二類型
- アイコン的記号/インデックス的記号/シンボル的記号(C・S・パースによる記号の三分類)
- アイコン=インデックス的記号としての写真――パース
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- 写真イメージの存在論――バザン
- そこ〔絵画〕に人間が介在するということが、画像の上に疑惑の影をいつまでも投じていた。〔……〕絵画と比べての写真の独自性は、その本質的な客観性にある。〔……〕最初の事物とその表現の間にもう一つの事物〔カメラないしはレンズ〕以外は何一つ介在しないというのは、これがはじめてのことだった。厳密な決定論に従えば、外部世界の像が人間の創造的干渉なしに自動的に形成されるというのは、これが初めてのことだった。〔……〕写真は、〔……〕《自然現象》としてわれわれに働きかけるのである。〔……〕写真は、事物からその再現物への実在性の移動によって利益を得ている。〔……〕写真の映像も、ピントが外れてぼやけたり、形が歪んだり、色が変化したり、資料的価値がなかったりすることがあるかもしれないが、その生まれてくる過程を考えれば、それはやはりモデルの本体から生じてきたものなのである。写真の映像は、モデルそのものなのである。
- デス・マスクの型取りもまた、再現の過程での一種の自動性を示している。この意味では、写真を、光という代理人による事物の型取りと見なすこともできるだろう。
- 写真=「コードのないメッセージ」――ロラン・バルト
- 写真のメッセージの中身は何だろうか。写真は何を伝えるのだろうか。当然、光景そのもの、そのものずばりの現実である。〔……〕現実そのものから写真に写すにあたって、現実を単位に細分して、それを写真が読むべきものとして与える対象とは素材の異なる記号として再構成する必要はまったくない。このオブジェと映像の間に中継物、すなわちコードを設定する必要はまったくない。たしかに映像は現実のものではない。しかし少なくともその完璧なアナロゴン〔相似物〕であって、常識的に写真を構成するのはまさしくこの類似の完全性なのである。こうして写真映像の特殊な位置づけがでてくる。写真はコードのないメッセージであるという位置である。(ロラン・バルト「写真のメッセージ」『映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)』、あるいは『第三の意味―映像と演劇と音楽と)
- 「それは=かつて=あった」
- 「写真」が数かぎりなく再現するのは、ただ一度しか起こらなかったことである。〔……〕写真は、「ほら、これです、このとおりです!」と言うだけで、ほかのことは何も言わない。写真は哲学的に変換する(言葉にする)ことはできない。〔……〕「写真」は何か目の前にあるものを指さすのであって、そうした純粋に指呼的な言語活動の域を脱することができない。(10)
- 私が《写真の指向対象》と呼ぶものは、ある映像またはある記号によって指し示されるものであるが、それは現実のものであってもなくてもよいというわけではなく、必ず現実のものでなければならない。それはカメラの前に置かれていたものであって、これがなければ写真は存在しないであろう。〔……〕絵画や言説における模倣とちがって、「写真」の場合は、事物がかつてそこにあったということを決して否定できない。〔……〕それゆえ、「写真」のノエマ〔現象学的な本質〕の名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。〔……〕それはかつてそこにあった、がしかし、ただちに引き離されてしまった。それは絶対に、異論の余地なく現前していた。がしかし、すでによそに移され相異している。
- 写真とは文字どおり指向対象から発出したものである。そこに存在した現実の物体から、放射物が発せられ、それがいまここにいる私に触れにやって来るのだ。〔……〕私は、かつて存在したものがその直接的な放射物(その光)によって実際に触れた写真の表面に、こんどは私の視線が触れにいくのだと考えるとひどく嬉しくなる(あるいは暗い気持ちになる)〔……〕(ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』)
- ロザリンド・クラウス――指標論
- あらゆる写真は、光のもろもろの反映を感光紙の表面上に転写した物理的痕跡なのである。写真はそれ故、イコン〔アイコン〕つまり視覚的類似の一種であるが、対象に対し指標〔インデックス〕的関係を持っているのである。真のイコン〔アイコン〕との隔たりを写真が感じさせるのは、この完全に物理的な生成によってである。つまり、大抵の絵画の描写的再現=表象の中で作用している組織的配列とか象徴的な意味の介在といったプロセスの入り込む余地を与えない、もしくはそうしたプロセスを短絡させるように見える、全くの物理的生成によってである。(ロザリンド・クラウス『オリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集』)
- 写真イメージの存在論――バザン
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- 痕跡の系譜
- 素描/絵画(塑像)の起源神話
- 痕跡と影絵(シルエット)
- デスマスク
- デス・マスクの型取りもまた、再現の過程での一種の自動性を示している。この意味では、写真を、光という代理人による事物の型取りと見なすこともできるだろう。(バザン「写真映像の存在論」)
- エルンスト・ベンカアト『永遠の貌』
- Lifecasting Tutorial: How to Make a Mold of Your Face with Alginate - YouTube
- ライフマスク制作体験記 - YouTube
- ライフマスクよ永遠に
- 痕跡の系譜
芸術学概論(1) 第6回
芸術学特論(1) 第6回
講義
- イメージ/モノ/コトバとコンテクスト
- 意味とコンテクスト:「石」を例にして
- 石×床の間(弄石趣味)=水石
- 意味とコンテクスト:「石」を例にして
- さまざまな「カルチャー」
- ハイ・カルチャー=高級文化
- ロー・カルチャー=低級文化。被支配者層の文化
- ポピュラー・カルチャー=民衆文化。近代に限らない。
- マス・カルチャー=大衆文化。多くの人達のために大量に作られる文化。複製技術を前提にする。
- ポップ・カルチャー=ポピュラー・カルチャーと同義にも用いられることもあるが、つかの間の流行といった意味も持つ。
- サブカルチャー=主流(ドミナント)ではない、周縁的な文化。
- カウンター・カルチャー=サブカルチャーのうち、主流文化に対する対抗的/反抗的な性格が強いもの
- 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダー/セクシュアリティ、エスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする」。
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- サブカルチャーから「文化」を考える
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- コスチューム/ファッション/ストリート・スタイル
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A Fred Perry Subculture Films #2: This Is A Modern World
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- サブカルチャーとブリコラージュ的戦術
- 戦略 Strategy vs. 戦術 Tactics
- ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)』
- ブリコラージュ
- ブリコラージュ的戦術
- ディック・ヘブディジ『サブカルチャー―スタイルの意味するもの』
- 戦略 Strategy vs. 戦術 Tactics
- サブカルチャーとブリコラージュ的戦術
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写真論1 第5回
講義
- 光と痕跡:フォトジェニック・ドローイング(光による素描)とサイアノタイプ(青写真)
- サイアノタイプの作り方
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- 印画紙をつくる
- サイアノタイプを露光する
- 7月末の晴天の日、ガラス越しで何分の露光が適当かという実験
- 10円玉を6枚置き、10分ごとに1枚はずし、はずしたところを白い紙でカバーする
- 結果、40分程度が適当と判断
- サイアノタイプを仕上げる
- 露光した印画紙を水道水で洗う
- 5lの水道水に20ml程度の塩素系漂白剤(ハイター)に10分ほど浸して再発色させる
- 流水で10分洗い、薬液を洗い流す(これで10年以上持つらしい)
- 写真術の「発明」
- ニセフォール・ニエプスとエリオグラフィ
- 版画の複製から「最初の写真」へ
- ユダヤ瀝青
- ジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー (視覚文化叢書)』
- ニセフォール・ニエプスとエリオグラフィ
芸術学概論(1) 第5回
講義
- マンガのヴィジュアル・リテラシー
- 世界の「マンガ」
- フランスのバンド・デシネ(BD)
- アメリカのコミック・ストリップ
- 戦前日本の戯画/漫画
- 世界の「マンガ」
- 視覚的コミュニケーションとコード:送信者と受信者のあいだでコードが共有されていないと……
- やっぱりマンガを「読む」のは難しい?
- マンガのヴィジュアル・リテラシー
芸術学特論(1) 第5回
講義
- イメージ/モノ/コトバとコンテクスト
- 文化的な実践を強調することは、重要なことである。ある文化の参加者こそが、人やモノや出来事に意味を与えるのである。モノは「それ自身の中」に、単一の、固定した、不変の意味を具えることは、あったとしてもほとんどない。石のように明白に見えるものでも、それは石であったり、境界のしるしであったり、彫刻であったりするであろう。それは、それが何を意味するのか、すなわち、ある特定の使用のコンテクスト、哲学者がさまざまな「言語ゲーム」(つまり境界線の言語、彫刻の言語など)と呼ぶものに依る。私たちがものを使うこと、私たちがものについて語り、考え、感じること——私たちがものを表象すること——こそが、私たちがものに意味を与えるということなのである。部分的には、私たちはモノ、人、出来事に、私たち自身の解釈の枠組みによって、意味を与える。
- スチュアート・ホール編『リプレゼンテーション――文化的表象と意味作用の実践』(Stuart Hall, ed., Representation: Cultural Representations and Signifying Practices, London: Sage/ Open University, 1997) (Representation: Cultural Representations and Signifying Practices (Culture, Media and Identities series))
- 意味とコンテクスト:「石」を例にして
- 石×鉱物学研究室=鉱物標本
- 石×露地(茶の湯)=関守石(留石)
- 石×現代美術館=アート作品
- 石×床の間(弄石趣味)=水石
- 文化的な実践を強調することは、重要なことである。ある文化の参加者こそが、人やモノや出来事に意味を与えるのである。モノは「それ自身の中」に、単一の、固定した、不変の意味を具えることは、あったとしてもほとんどない。石のように明白に見えるものでも、それは石であったり、境界のしるしであったり、彫刻であったりするであろう。それは、それが何を意味するのか、すなわち、ある特定の使用のコンテクスト、哲学者がさまざまな「言語ゲーム」(つまり境界線の言語、彫刻の言語など)と呼ぶものに依る。私たちがものを使うこと、私たちがものについて語り、考え、感じること——私たちがものを表象すること——こそが、私たちがものに意味を与えるということなのである。部分的には、私たちはモノ、人、出来事に、私たち自身の解釈の枠組みによって、意味を与える。
- さまざまな「カルチャー」
- ハイ・カルチャー=高級文化
- ロー・カルチャー=低級文化。被支配者層の文化
- ポピュラー・カルチャー=民衆文化。近代に限らない。
- マス・カルチャー=大衆文化。多くの人達のために大量に作られる文化。複製技術を前提にする。
- ポップ・カルチャー=ポピュラー・カルチャーと同義にも用いられることもあるが、つかの間の流行といった意味も持つ。
- サブカルチャー=主流(ドミナント)ではない、周縁的な文化。
- カウンター・カルチャー=サブカルチャーのうち、主流文化に対する対抗的/反抗的な性格が強いもの
- 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダー/セクシュアリティ、エスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする」。
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- サブカルチャーから「文化」を考える
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- コスチューム/ファッション/ストリート・スタイル
-
A Fred Perry Subculture Films #2: This Is A Modern World
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- サブカルチャーとブリコラージュ的戦術
- 戦略 Strategy vs. 戦術 Tactics
- ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)』
- ブリコラージュ
- ブリコラージュ的戦術
- ディック・ヘブディジ『サブカルチャー―スタイルの意味するもの』
- 戦略 Strategy vs. 戦術 Tactics
- サブカルチャーとブリコラージュ的戦術
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写真論1 第4回
講義
- 写真前史
- カメラ・オブスキュラ(「カメラ・オブスクラ」とも)
- カメラ・オブスキュラとは、ラテン語で「暗い部屋」という意味。暗い部屋に、小さな穴(ピンホール)から光が差し込むと、外の明るい世界が上下左右逆に映るという原理は紀元前から知られていた。
- 後にレンズを利用することによって、鮮明な像(イメージ)が得られることが知られるようになり、ヨーロッパでは、ルネサンス期以降、描画装置、科学的な観察装置として広く使われるようになり、また啓蒙主義時代(17c後半〜18c)の知のモデルともなった。
- ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜―視覚空間の変容とモダニティ (以文叢書)』
- 佐藤守弘「暗い部屋のなかの人工知能」(『S/N:S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら』)
- カメラ・オブスキュラに映る像を化学的な方法により定着させる技術が、写真術。
- 巨大カメラ・オブスキュラ
- The Magic Mirror of Life: An Appreciation of the Camera Obscura=カメラ・オブスキュラについての総合サイト(英語)
- 映像展示室と巨大レンズ | 植田正治写真美術館=鳥取県伯耆町にある植田正治写真美術館内。600mmのレンズで「逆さ大山」が見られる。
- 細馬宏通さんとカメラ・オブスキュラ:スミス記念堂のカメラ・オブスキュラ/彦根
- http://www.kokuyo-shop.jp/shop/ProductDetail.aspx?sku=4901480275864
- カメラ・オブスキュラの作り方→カメラ・オブスキュラの作り方 - 蒼猴軒日録β
- 大判カメラについて
- 幻燈の原理
- カメラ・オブスキュラ(「カメラ・オブスクラ」とも)
芸術学概論(1) 第4回
講義
- 動物の知覚
- 人間は本能の壊れた動物?
- 動物の行動や知覚について知るためのおすすめ文献
- 記号とコミュニケーション
- マンガのリテラシー
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- マンガのレヴェル構成:作品全体→見開きページ→コマ
- コマの構成要素:イメージ・記号・テクスト
芸術学特論(1) 第4回
講義
- 文化:イメージ/モノ/コトバとコンテクスト
- 意味とコンテクスト:「石」を例にして
- 石×鉱物学研究室=鉱物標本
- 石×露地(茶の湯)=関守石(留石)
- 石×現代美術館=アート作品
- 石×床の間(弄石趣味)=水石
- 日本水石協会
- つげ義春「無能の人」1985~86年(『無能の人・日の戯れ (新潮文庫)』)
- 竹中直人監督『無能の人 [DVD]』
- モノと分類学
- 意味とコンテクスト:「石」を例にして
- さまざまな「カルチャー」
- ハイ・カルチャー=高級文化
- ロー・カルチャー=低級文化。被支配者層の文化
- ポピュラー・カルチャー=民衆文化。近代に限らない。
- マス・カルチャー=大衆文化。多くの人達のために大量に作られる文化。複製技術を前提にする。
- ポップ・カルチャー=ポピュラー・カルチャーと同義にも用いられることもあるが、つかの間の流行といった意味も持つ。
- サブカルチャー=主流(ドミナント)ではない、周縁的な文化。
- 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダー/セクシュアリティ、エスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする。」
- 佐藤守弘「消費文化への両義的な対処法——マスメディア時代の「ポップ」再考」、UNPOPULAR POP報告書 – UNPOPULAR POP、162
- 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダー/セクシュアリティ、エスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする。」
- サブカルチャーから「文化」を考える
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- コスチューム/ファッション/ストリート・スタイル
-
A Fred Perry Subculture Films #2: This Is A Modern World
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- サブカルチャーとブリコラージュ的戦術
- 戦略 Strategy vs. 戦術 Tactics
- ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)』
- ブリコラージュ
- ブリコラージュ的戦術
- ディック・ヘブディジ『サブカルチャー―スタイルの意味するもの』
- 戦略 Strategy vs. 戦術 Tactics
- サブカルチャーとブリコラージュ的戦術
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- サブカルチャーの終焉と文化遺産化
- 「スタイルのスーパーマーケット」
- クール・ブリタニア - Wikipedia
- サブカルチャーの終焉と文化遺産化
-
MODS & KAISER CHEIFS LONDON CLOSING CEREMONY 2012
英書講読 第4回
講義
- John Berger / Ways of Seeing , Episode 1 (1972) - YouTube(18:40)
- ジョン・バージャー『イメージ―視覚とメディア (ちくま学芸文庫)』
- Ways of Seeing - Wikipedia
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- 複製技術とメディア
- 機械的複製技術(Mechanical Reproduction)
- ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」(1936)
- 複製技術の歴史
- 1839:写真術(ダゲールによるダゲレオタイプ)
- 1841:ネガ=ポジ法(トルボットによるカロタイプ)
- 1877:録音技術(エディソンによるフォノグラフ)
- 1887:ディスク型録音装置(ベルリナーによるグラモフォン)
- 1895:映画(リュミエール兄弟によるシネマトグラフ)
- 1926:トーキー映画(ワーナー・ブラザーズによるヴァイタフォン)
- 参考:記録技術の年表 - Wikipedia(および通信技術の年表 - Wikipediaも)
- 1839:写真術(ダゲールによるダゲレオタイプ)
- 機械的複製技術(Mechanical Reproduction)
- 複製技術とメディア
写真論 第3回
講義
- 写真以前/アナログ写真/デジタル写真
- もしも今の子どもたちがフィルム式コンパクト・カメラを手にしたら
- 写真前史
- 穴/レンズと感光体
- 幾何学的遠近法(透視図法)とイリュージョン
- =二次元の画面上で、三次元(空間)を表す「さまざま」な仕方:一つではない
- 近代以前の日本における遠近の表し方=画面内での上下が奥行きとして読まれる
- 岸文和『江戸の遠近法―浮絵の視覚』
- ルネサンス期における「幾何学的遠近法」
- 「世界に開かれた窓」としての絵画=三次元空間というイリュージョン
- 様々な描画装置
- カメラ・オブスキュラ、そして写真の登場