最終日
- 二日目の振り返りと質問への回答
- レポート課題について
- 博覧会と百貨店:近代都市の成立
- コンビニ展示論:コントロールされる欲望
- 広告の視覚文化:欲望と資本主義
- まとめ
二日目の振り返りと質問への回答
- 私は、さびしいのでよく友達と夜電話したりしますが先生がどうして電話が若い頃より嫌いになったのかぜひ明日の授業で余裕があったら聞きたいです。
- 講義の途中で「想像された遠隔映像音声術」がありましたが、先生は今後テレビ電話がどのように発達するとお考えですか?私は、よく映画であるような目の前に実際にいるかのような状態で話せるようになるのではないかと考えています。
- 場所の機能は、対面とオンラインという現代的な話から考えられることが多く、遺跡などがこの場所の価値というものの最大のものなのではないか、そしてそれに準じて美術品や骨とう品にも同じその場にいた者の存在を証明するものとしての価値があるのではと考えました。
- 痕跡とインデックス
- 何かの現代文の問題で、写真はそれに関係する物語への会話などのきっかけであって、写真そのものを見て楽しんでいる人は少ないといった趣旨の文章がありました。しかし、写真を撮るのが趣味の人の中には、絵画のような写真を撮るのが好きな人もいます。
- 自分が興味を持っている「夏フェス」というのも一つの展示とみなせると思った。夏フェスは、主に主情機能が一番強く出ている展示だと思うが、それ以外の要素のいくつか含まれているような気がした。
- 視線の話について、男性は見る・語る主体であり、女性は見られる・語られる対象となるこの構造は、美術や文学、映画などの全てのメディアで主流なものであると思うので、このパターンからあえて離脱している作品(あれば古典)を知りたいと思った。
- 『土佐日記』?
- 主体は、見ることで他者を性格付け、見られる対象は、自分を見る側のまなざしを内面化するということについて、相互が相手を「見る」主体である場合、他者の性格づけはどのように行われるのでしょうか。どちらの主体も見る側の視点で相手を性格づけるため、お互いが相手に付与した性格は一致しないのでしょうか。
- 主体と他者の話で、家父長制下の女性や、西洋優位思想の中での東洋といった様々な例が出てきましたが、その中で‘’見る‘’という行為を非常に官能的に捉える場面が散見されました。なぜ見るという行為がそこまで性的な意味を持つのでしょうか。人が性的な場面、つまり裸になるような場面では、眼から得る情報が優位になるからでしょうか。人間が服を着るようになったことで、裸になるという性的な場面への移行が、服を脱ぐという極めて視覚的な現象によって起こるからなのでしょうか。また、授業とは関係ない話にはなりますが、食べるといった行為にも同じく官能的な意味が付随しています。なぜ五感的に劣位のものと優位なものが同じように性的に捉えられるのでしょうか。
- ジェンダーと視線の問題で男性優位のジェンダー構造では男性が主体として対象である女性を見て性格づけるとあったが、LGBTQのように複雑な性別を持つ現在においては男性から女性という単純な視線ではない気がするのでどのように説明できるのか気になった。
レポート課題
- 任意のイメージ(絵画、写真、イラストなど)を1点選び、講義で扱った「視線」などの問題に留意しつつ、そのイメージを分析し、解釈してください。
- そのイメージの作者、制作年代などの概要については1段落くらいで簡潔に記すこと。
- そのイメージを徹底的に観察して、記述(言語化)すること。何(対象)を、どのように表象しているのかを丁寧に記述してください。
- その記述をベースに文献を調べたり、他のイメージと比較したりして、論理的に(担当講師が納得するように)分析、解釈してください。
- 必ずそのイメージを図版としてレポート内にレイアウトしてください。図版がなかったら点数下がります。
- 引用したり、参考にしたりした文献、資料などは注をつけて、文献情報をつけて明記すること。
- 形式:A4用紙縦遣い、PDF
- 字数:2000-4000字
博覧会と百貨店:近代都市の成立
- 展示の6機能
- 指示的機能 見えない世界を指し示す
- 主情的機能 仲介者の思い/考えを伝える
- 働きかけ機能 観る人を動かす
- 交感的機能 展示の場を指向する
- メタ展示的機能 展示の諸コードを指向する
- 博物学以降の展示
- パノプティコンからパノラマへ
- 遊歩者と移動的視覚
- 「パノラマ〔…〕はパノプティコンとは異なる目的をもつ建築=装置で、観察者=主体を閉じ込めるのではなく、移動させることを意図していた。
- 「世界中から集められたあらゆる種類」の「屋内の見世物」であるパノラマは、「周囲の風景」を用いて、人工的などこか別の場所をパノラマ鑑賞者のために作り出した」。アン・フリードバーグ『ウィンドウ・ショッピング: 映画とポストモダン (松柏社叢書 言語科学の冒険 10)』
- 遊歩者と移動的視覚
- 万国博覧会
- 「万国博覧会は商品という物神〔フェティッシュ〕への巡礼所である。……万国博覧会は商品の交換価値を美化する。博覧会が作る枠組みのなかでは、商品の使用価値が背景に退く。博覧会は幻像〔ファンタスマゴリー〕を繰り広げ、人間は気晴らしを求めてそのなかへはいってゆく」(ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション (1) (ちくま学芸文庫 ヘ 3-1)』)
- 百貨店の誕生
- パリ大改造と視覚的都市の誕生:1853〜1870:セーヌ県知事、オスマンによる
- パサージュとマガザン・ド・ヌーヴォーテ(流行品店)→スペクタクルとしての商品
- 世界初の百貨店、ボン・マルシェ=「現代商業のカテドラル」(ゾラ)
- 薄利多売、現金正価、入店自由、返品可
- パノプティコンからパノラマへ
- 19世紀視覚文化年表
- 1753 大英博物館開館
- 1791 ベンサム、パノプティコンを考案
- 1793 ルーヴル美術館開館
- 1794 バーカー、レスター・スクウェアにパノラマ館を開く
- 1811 tourismの語の初出
- 1822 この頃からパサージュが次々と建造される
- 1825 ストックトン〜ダーリントン間に世界初の商用鉄道開通
- 1839 ダゲールによる写真の発明が科学アカデミーで公表
- 1841 トーマス・クック、最初のマス・トゥーリズムを企画
- 1842 イギリスにおいて鉄道の統合
- 1843 パリ=オルレアン間の鉄道開通
- 1849 ブリュースター、ステレオスコープを開発
- 1851 ロンドン万国博覧会
- 1852 パリにてボン・マルシェ開店
- 1853 オースマンのパリ大改造(〜70)
- 1863 クック、パリ、スイスへのパック旅行を企画
- 1867 パリ万国博覧会
- 1889 パリ万国博覧会(エッフェル塔)
- 1895 リュミエール、シネマトグラフ初上映
- 1896 第一回近代オリンピック開催
コンビニ展示論:コントロールされる欲望
- 控えめなスペクタクル——非−場所としてのコンビニ
- Convenience Storeから「コンビニ」へ
- スーパーマーケットの誕生
- コンビニの控えめなスペクタクル
- コンビニと回遊
- コンビニのメッセージ=働きかけ機能
- 広告との比較
- 消費社会から情報社会へ
- 村田沙耶香『コンビニ人間 (文春文庫)』
- コンビニの展示コード
- コンビニの交感的機能
- 排除される触知的機能
- コンビニとコミュニケーション:「個人」のための空間
- 「誰一人として〔…〕常連化しないんです。互いに話もせずコミュニケーションもなく、黙々と集まってしまうという。〔…〕若者たちは真夜中に明るいところを見つけて、何となく入って、何となくなにかを求めているわけです。求めてるんだけど、コンビニエンスの中にはないんですね。〔…〕コミュニケーションしなくてもすむというのがコンビニエンスの特徴なんだけど、なんか夜中に明るいから、心のどこかにコミュニケーションを求めて入っちゃう」夏目房之介『夏目房之介の講座 (ちくま文庫 な 13-4)』
- 「〔コンビニで10代、20代の若い世代は〕他者との関係から解放され、新しい商品や雑誌に没入することで「個人」の領域を確保する。〔…〕コンビニは、こうした〔店員と客、客同士のコミュニケーションで生まれる〕自己/他者の交流というよりも、自己/他者にスキマを精妙に作り出すことによって「個人」の境界を維持する空間ともいえる。〔…〕コンビニという消費空間は、若い世代にとっては、地域や家族から離れ、「個人」の楽しみを享受できる「解放の空間」といえるが、高齢者にとっては、地域や家族が機能しなくなってもひとりで生活を維持することができる「保護の空間」なのである。〔…〕つまり、ネットワークとしてのコンビニは、伝統的・土着的な地域社会や家族関係に準拠せず、労働/消費の両面において個人を支えることができる。〔…〕」(田中大介「現代日本のコンビニと個人化社会—— 情報化時代における「ネットワークの消費」」『日本女子大学紀要 人間社会学部』26、25−39)
広告の視覚文化:欲望と資本主義
- 広告という文化
- 「欲求need」と「欲望desire」のちがい
- 「欲求は満足することができる。でも欲望は、決して満足しない。そして人間の活動は、そのほとんどがこうした「満たされない欲望」のうえに成立している。僕たちは自分の抱えた欲望を、そのつどちょっとずつ満たしてやることで、最終解決は先送りしながら生きている。〔…〕実はこういう欲望のメカニズムは、「資本主義」システムのそれとよく似ている。いろんな問題解決を常に先送りしながら成立しているこのシステムは、その究極的な解消がありえないことが、システム成立のための重要なよりどころになっている」斎藤環『生き延びるためのラカン (ちくま文庫 さ 29-3)』
- 「いわゆる資本主義とは、交換過程の偶発的性格(交換の可能性がその場その場の個人的な欲求に依存すること)を克服するために、支払うものの欲求を身体的・生理的な領域から解放し、交換の動機付けとなる欲求〔=欲望?〕を自己創出する動的システムのことなのだ。〔…〕資本システムは広告という意味媒体によって差異を自己生産し、私たちの欲求を創出する」北田暁大『増補 広告都市・東京: その誕生と死 (ちくま学芸文庫 キ 17-1)』
- 広告=受容者の未来の行動を指示するイメージ
- 「広告の目的は、見る者の現実の生活に対して最大限の不満を抱かせようとするものである。その社会の生活様式への不満ではなく、自分自身の生活への不満である。この商品を買えばあなたの生活はより良くなると広告は提案する。広告は見る者により良い状態にあるもう一つの彼を示す」。
- 「あらゆる広告は不安をかきたてる。すべてのことはお金に集約され、お金を手に入れることがその不安を克服することである。いいかえれば広告がかりたてる不安とは、何も持たなければ、自分自身も何者でもなくなってしまうという不安である」。
- その定義からいって広告にとって現在は不十分なものである。〔……〕束の間の生命しかない広告イメージは未来形しか用いない。これを買えば、あなたは魅力的になるだろう。こうした環境で暮らせば、あなたの人間関係はすべて快調で輝かしいものになるだろう。〔……〕広告は未来形で語る。しかしその未来への到達は限りなく先へ延ばされる。それではどのようにして広告は、その広範な影響を及ぼす説得力を保つのだろうか。広告が説得力を失わないのは、広告の真実性が、その広告の約束することが本当に実現されるかによって判断されるのではなく、〈見る者=購買者〉に与える幻想がどれだけ有効性を持つかによって判断されるからである。広告は本質的に、現実とではなく白昼夢と結びつく」。
- ジョン・バージャー「広告の宇宙」(『イメ-ジ: 視覚とメディア (ちくま学芸文庫 ハ 23-2)』)
- 消費者に呼びかける広告
- ルイ・アルチュセール『再生産について 上 イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置 (平凡社ライブラリー)』
- ジュディス・ウィリアムソン『広告の記号論―記号生成過程とイデオロギー (1985年) (Culture critique books)』
- アンドルー・ゴードン『ミシンと日本の近代―― 消費者の創出』
- 病と健康のレトリック
- 佐藤守弘「医薬品――病気と健康のあいだに」(『開封・戦後日本の印刷広告: 『プレスアルト』同梱広告傑作選〈1949-1977〉』)
- 「欲求need」と「欲望desire」のちがい