芸術学特論2 第4回

講義

写真論 第2回

講義

  • 写真前史
    • 穴/レンズと感光体
    • 幾何学的遠近法(透視図法)とイリュージョン
      • =二次元の画面上で、三次元(空間)を表す「さまざま」な仕方:一つではない
      • 近代以前の日本における遠近の表し方=画面内での上下が奥行きとして読まれる
      • ルネサンス期における「幾何学的遠近法」
        • 「世界に開かれた窓」としての絵画=三次元空間というイリュージョン
    • 様々な描画装置

デザイン論特講3 第2回

コメント返し

  • ファッション・ショー
  • 概念コーデ

講義

芸術学特論2 第3回

質問コーナー

講義

デザイン論特講3 第1回

イントロダクション

  • 講義情報
    • 講義情報ウェブサイト(ブログ)について
    • 質問、コメントについて

講義

写真論1 第1回

イントロダクション

  • 講義情報
    • 講義情報ウェブサイト(ブログ)について
    • 質問、コメント掲示板について

講義

演習I 第2回

今学期の発表の課題

  1. 自分の研究対象を紹介する
  2. 自分の研究の問題(知りたいこと)を設定する。
  3. その問題を扱っている論文(先行研究)を一本探し出して、それを紹介する
  4. できればその研究の問題点、足りていないこと、もっと掘り下げられることを提示する

先行研究を探し出す

日本の芸術2 第2回

講義

  • さまざまな「カルチャー」
    • ハイ・カルチャー=高級文化、社会的エリート(王侯貴族、宗教的権威、ブルジョワ、知識人など)の文化。
      • ドミナント・カルチャー/メインストリーム・カルチャー=ある共同体の主流を占める文化。しばしばハイ・カルチャーと同義だが、対義語は「ロー・カルチャー」ではなく、「サブカルチャー」になる。
    • ポピュラー・カルチャー=民衆文化。近代に限らない被支配層の文化。以下の諸文化の上位概念。
    • 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダーセクシュアリティエスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする」。(佐藤守弘「消費文化への両義的な対処法──マスメディア時代の「ポップ」再考、UNPOPULAR POP報告書 – UNPOPULAR POP、pp.160-184)」
    • 「そもそも、同じポピュラー・カルチャーに分類されてはいても、フォーク・カルチャー(民俗文化)と近代的なマス・カルチャー(ひいてはポップ・カルチャー)は、定義上、相容れないものと考えられていた。本来は小さなコミュニティで共有されていたフォーク・カルチャーは、近代の都市におけるメディアの変容によって登場するマス・カルチャーに征服されてしまい、真正な文化財と して保存されるしかない運命を辿ったとされる。ちなみに「定義上」と書いたのは、その考えがクレメント・グリーンバーグなどが考えたように古いものであり、たとえば現代の民俗学の最前線 ──菊地暁『民俗学入門』(岩波新書、二〇二二)に見られるような──では、フォーク・カルチャーを必ずしもそのように捉えているとは限らないからである」(佐藤守弘「民謡クルセイダーズ——矛盾の肯定」同上、p.124)
  • メディアと文化のポストモダン
    1. 教養としての文化
    2. 新聞・雑誌などの印刷マスメディアの誕生
    3. 写真・録音・映画などの複製技術による文化の商品化
    4. ラジオ、テレビによるポピュラー文化の普及
    5. 文化のマルチチャンネル化、マルチメディア化
    6. インターネット/スマートフォンSNS=ポスト・マスメディア時代

芸術学特論2 第2回

講義

  • 写真前史
    • 穴/レンズと感光体
    • 幾何学的遠近法(透視図法)とイリュージョン
      • =二次元の画面上で、三次元(空間)を表す「さまざま」な仕方:一つではない
      • 近代以前の日本における遠近の表し方=画面内での上下が奥行きとして読まれる
      • ルネサンス期における「幾何学的遠近法」
        • 「世界に開かれた窓」としての絵画=三次元空間というイリュージョン
    • 様々な描画装置

写真論1/2 講義概要

写真論1(3Q)/写真論2(4Q)

  • 木曜日 5講時

講義の目的

  • 1839年に発表された写真術という新たな技術は、人の視覚の様態を根底から覆した。映画、テレビ、コピー、さらにはデジタル・カメラやデジタル・ビデオにいたるまで、全て写真術を応用したものである。本講義では、写真の前史から成立の課程を追い、どのような社会的条件が写真の発明を要請したのか、そしてそれがどのように社会に影響を与えたのかを考えていきたい。さらにその歴史を踏まえた上で、写真の理論的な側面にも光を当てていく。写真独特の視覚とは何か、写真は芸術にどのような変化をもたらしたのか、写真は社会をどう変えたのか。そうしたさまざまな疑問を受講生とともに考えていきたい。

講義の進め方

  • 1Q:写真論1
  1. イントロダクション:写真と近代性
  2. 幾何学的遠近法とイリュージョン
  3. 遠近法描画装置とカメラ・オブスキュラ
  4. 写真の発明:ニエプスとダゲール
  5. トルボットと自然の鉛筆:複製技術としての写真
  6. 写真の記号論
  7. 痕跡とインデックス
  8. デスマスク、影絵、聖顔布: 痕跡の系譜
  • 2Q:写真論2
  1. イントロダクション:写真と複製技術
  2. トルボットと自然の鉛筆:複製技術としての写真
  3. 複製技術と視覚的イメージ
  4. 引用・流用・剽窃
  5. 複製技術時代の音楽:ダブ、リミックス、ヒップ・ホップ
  6. 遺影写真論
  7. ヴァナキュラー写真論
  8. 写真と日本:写真術のヴァナキュラー化

評価方法・基準

  • 授業参加度:40%、期末レポート:60%

デザイン論特講3 講義概要

デザイン論特講3

講義の進め方

  • 1. イントロダクション:メディア、イメージ、視覚文化
  • 2. 「文化」を理解する:記号、表象、コンテクスト
  • 3. サブカルチャーから文化を考える
  • 4. ストリートの戦術:流用・転用・ブリコラージュ
  • 5. ヴァナキュラー・デザインの諸相
  • 6. 「建築家なしの建築」と「建築外の建築」
  • 7. 路上の系譜:考現学から路上観察学へ
  • 8. 痕跡と考古学的想像力
  • 9. ブリコラージュと「野生の思考」
  • 10. 複製技術と視覚的イメージ
  • 11. 複製技術とデザイン
  • 12. 引用・流用・剽窃
  • 13. 複製技術時代の音楽:ダブ、リミックス、ヒップ・ホップ
  • 14. デザインの外側へ
  • 15. まとめ

評価の方法

  • 授業参加度:40%、期末レポート:60%

日本の芸術1 第1回

講義

  • 「文化 culture」とは一体なにか?
  • 文化概念の変容
    • 古典的定義=「教養」としての文化
    • 人類学的定義=「生活の仕方の全体」
  • さまざまな「カルチャー」
    • ハイ・カルチャー=高級文化、社会的エリート(王侯貴族、宗教的権威、ブルジョワ、知識人など)の文化。
      • ドミナント・カルチャー/メインストリーム・カルチャー=ある共同体の主流を占める文化。しばしばハイ・カルチャーと同義だが、対義語は「ロー・カルチャー」ではなく、「サブカルチャー」になる。
    • ポピュラー・カルチャー=民衆文化。近代に限らない被支配層の文化。以下の諸文化の上位概念。
    • 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダーセクシュアリティエスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする」。(佐藤守弘「消費文化への両義的な対処法──マスメディア時代の「ポップ」再考、UNPOPULAR POP報告書 – UNPOPULAR POP、pp.160-184)」
    • 「そもそも、同じポピュラー・カルチャーに分類されてはいても、フォーク・カルチャー(民俗文化)と近代的なマス・カルチャー(ひいてはポップ・カルチャー)は、定義上、相容れないものと考えられていた。本来は小さなコミュニティで共有されていたフォーク・カルチャーは、近代の都市におけるメディアの変容によって登場するマス・カルチャーに征服されてしまい、真正な文化財と して保存されるしかない運命を辿ったとされる。ちなみに「定義上」と書いたのは、その考えがクレメント・グリーンバーグなどが考えたように古いものであり、たとえば現代の民俗学の最前線 ──菊地暁『民俗学入門』(岩波新書、二〇二二)に見られるような──では、フォーク・カルチャーを必ずしもそのように捉えているとは限らないからである」(佐藤守弘「民謡クルセイダーズ——矛盾の肯定」同上、p.124)

芸術学特論2 第1回

イントロダクション

  • 講義情報
    • 講義情報ウェブサイト(ブログ)について
    • 講義概要:芸術学特論2 講義概要 - 佐藤守弘の講義情報
      • シラバス改定について
        • 春学期の「芸術学特論1」で扱う予定だったけど、時間の関係で扱えなかった広告論をこちらでやります。「1」を取ってなかった人には関係ない話でごめんなさい。
      • 講義の目的
      • 内容の予定
      • 評価について
    • コメント・カードについて

講義

芸術学集中講義 最終日

昨日のフォローアップ

視線と権力

  • イメージと視線
    • 観者を見つめるイメージ:はたらきかける「視線」
    • ジェンダーと視線
      • ティントレット《スザンナの水浴》
      • ストーリー:「美しい若妻スザンナが沐浴しているときに、長老二人が近寄り、言い寄った。しかし、スザンナは拒絶した。逆恨みした長老たちは、スザンナを姦通罪で訴え、スザンナは死刑になってしまいそうになる。そこで、預言者ダニエルは二人の長老を尋問し、矛盾を暴き、スザンナの無実が実証された。二人の長老は死刑となった」(旧約聖書ダニエル書外典より)。
      • 3つのまなざし
        1. スザンナを「覗き見」る長老たちのまなざし=見返されることのない「非対称」のまなざし
        2. 鏡を見るスザンナのまなざし=自らを見る:男性のまなざしを内面化したまなざし
        3. 絵を見る観者のまなざし=メタ・レヴェルのまなざし:ポルノグラフィ?
      • ジェンダー=社会的、文化的に定められた性差(男らしさ/女らしさなど):生物学的な性差(セックス)とは区別される。
        • 男性優位のジェンダー構成においては、男性は見る主体であり、女性は見られる対象となる。
        • 視線の主体である男性は、「見る」という行為によって女性という「他者」を性格づける。
        • 男性(主体)は、女性(他者)に付与したそれぞれの性格(受動的、露出、イメージ、感情、神秘、自然…)の反対語(能動的、窃視、言語、理性、好奇心、文化…)を自らに付与する。
        • 「主体」とは先験的に存在する物ではなく、「他者」との関係の網目のうちに構築される物である。
        • 「男は行動し、女は見られる。男は女を見る。女は見られている自分自身を見る。これは男女間の関係を決定するばかりでなく、女性の自分自身に対する関係をも決定してしまうだろう。彼女の中の観察者は男であった。そして被観察者は女であった。彼女は自分自身を対象に転化させる。それも視覚の対象にである。つまりそこで彼女は光景となる」(ジョン・バージャー『イメージ Ways of Seeing―視覚とメディア (PARCO PICTURE BACKS)』)。
      • マネ《オランピア》の視線
    • オリエンタリズム」と視線
      • オリエンタリズム=ヨーロッパのオリエントに対する支配的言説の様式
      • オリエントは…ヨーロッパ人の心のもっとも奥深いところから繰り返したち現れる他者イメージでもあった。そのうえオリエントは、ヨーロッパ(つまり西洋)がみずからを、オリエントと対照をなすイメージ、観念、人格、経験を有するものとして規定するうえで役だった(E・サイードオリエンタリズム 上 (平凡社ライブラリー)』)。
    • 視線の内面化
      • パノプティコン=一望監視装置
        • ジェレミーベンサムが考案した監獄
        • 監視する:看守から見ると、窓から入る逆光によって、囚人たちの身体は個別性を喪った抽象的な影として浮かびあがる
        • 監視される:中央の監視塔は鎧戸になっている

観光という視覚文化

サブカルチャーポップカルチャー

広告のレトリック

  • 広告という文化
    • 「欲求need」と「欲望desire」のちがい
      • 「欲求は満足することができる。でも欲望は、決して満足しない。そして人間の活動は、そのほとんどがこうした「満たされない欲望」のうえに成立している。僕たちは自分の抱えた欲望を、そのつどちょっとずつ満たしてやることで、最終解決は先送りしながら生きている。〔…〕実はこういう欲望のメカニズムは、「資本主義」システムのそれとよく似ている。いろんな問題解決を常に先送りしながら成立しているこのシステムは、その究極的な解消がありえないことが、システム成立のための重要なよりどころになっている」
      • 「いわゆる資本主義とは、交換過程の偶発的性格(交換の可能性がその場その場の個人的な欲求に依存すること)を克服するために、支払うものの欲求を身体的・生理的な領域から解放し、交換の動機付けとなる欲求〔=欲望?〕を自己創出する動的システムのことなのだ。〔…〕資本システムは広告という意味媒体によって差異を自己生産し、私たちの欲求を創出する」
    • 広告=受容者の未来の行動を指示するイメージ
      • 「広告の目的は、見る者の現実の生活に対して最大限の不満を抱かせようとするものである。その社会の生活様式への不満ではなく、自分自身の生活への不満である。この商品を買えばあなたの生活はより良くなると広告は提案する。広告は見る者により良い状態にあるもう一つの彼を示す」。
      • 「あらゆる広告は不安をかきたてる。すべてのことはお金に集約され、お金を手に入れることがその不安を克服することである。いいかえれば広告がかりたてる不安とは、何も持たなければ、自分自身も何者でもなくなってしまうという不安である」。
      • その定義からいって広告にとって現在は不十分なものである。〔……〕束の間の生命しかない広告イメージは未来形しか用いない。これを買えば、あなたは魅力的になるだろう。こうした環境で暮らせば、あなたの人間関係はすべて快調で輝かしいものになるだろう。〔……〕広告は未来形で語る。しかしその未来への到達は限りなく先へ延ばされる。それではどのようにして広告は、その広範な影響を及ぼす説得力を保つのだろうか。広告が説得力を失わないのは、広告の真実性が、その広告の約束することが本当に実現されるかによって判断されるのではなく、〈見る者=購買者〉に与える幻想がどれだけ有効性を持つかによって判断されるからである。広告は本質的に、現実とではなく白昼夢と結びつく」。
    • 消費者に呼びかける広告
    • 病と健康のレトリック

芸術学集中講義 中日

昨日のフォローアップ

触覚

絵画のヴィジュアル・リテラシー

  • イメージを「読む」
    • 物語とイメージ:『伊勢物語』と「八つ橋」
      • 尾形光琳の3つの八つ橋/かきつばた
        • C0001845 伊勢物語図 - 東京国立博物館 画像検索
        • Ogata Kōrin | Irises at Yatsuhashi (Eight Bridges) | Japan | Edo period (1615–1868) | The Metropolitan Museum of Art
        • 燕子花図|根津美術館
        • 昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに」とて行きけり。もとより友とする人、一人二人して行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。
        • 三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋と言ひけるは、水ゆく川の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋と言ひける。その沢のほとりの木の陰に下り居て、乾飯食ひけり。その沢にかきつばた いとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を上の句に据ゑて、旅の心を詠め」と言ひければ、詠める。
          • 唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ(各句の頭の字をとれば「か・き・つ・ば・た」)
        • と詠めりければ、みな人、乾飯の上に涙落としてほとびにけり。

文化とはなにか

  • 「着る」ことから文化を考える
    • 菊地暁『民俗学入門 - 岩波書店』第一章「暮らしのアナトミー「きる【衣】」から
      • サブカルチャーとスタイル
        • 衣服の分類=コスチューム/ファッション/スタイル
      • 衣服の諸機能=実用的/美的/記号的&象徴的
      • 衣服の起源
        • 保護:身体的なダメージを防ぐ
        • 表示:身分や所属を表す
        • 羞恥:露出の恥ずかしさを隠す
        • 装飾:身体を彩る
        • 呪術:儀式、祈り、呪いのため
        • 着衣と裸の境界
      • 衣服と労働
        • ボロ/ツギの意味
    • 純化して言うなら、文化とは「共有された意味shared meaning」に関わるものである。そもそも言語は、とりあえず「意味を生みだす/理解するmake sense」——すなわち意味が生成produceされ、交換される——ことにおいて特権化された媒体mediumである。
    • 私たちが同一の言語に等しく通じているときにのみ、意味は共有される。したがって、言語こそが意味と文化の中心を占めるものであり、文化的な価値や意味をつねに貯える重要な場所と見なされているのである。
    • 人文科学や社会科学——特にカルチュラル・スタディーズや文化の社会学——において、「文化論的転回cultural turn」と呼ばれるようになってきたものは、文化の定義において意味meaningの重要さを強調する。文化とは、モノthings——小説や絵画、テレビ番組やマンガなど——の集合体であるだけでなく、プロセス、すなわち実践practiceの集合体でもあると論じられる。第一義的に、文化とは、社会や集団の構成員間における意味の生成と交換——すなわち「意味の贈答」——に関するものである。二人の人が同じ文化に属するということは、二人が世界を大まかに同じように解釈していて、彼女/彼ら自身のことや、世界に対する考えや感情を、お互いが理解しあえるような仕方で、表現することができるということである。したがって文化とは、自らの周りに起こることを意味あるように解釈し、おおまかに似たかたちで世界を「理解する=意味を作る〔make sense〕」参加者に依存するものなのである。
    • 文化的な実践を強調することは、重要なことである。ある文化の参加者こそが、人やモノや出来事に意味を与えるのである。モノは「それ自身の中」に、単一の、固定した、不変の意味を具えることは、あったとしてもほとんどない。石のように明白に見えるものでも、それは石であったり、境界のしるしであったり、彫刻であったりするであろう。それは、それが何を意味するのか、すなわち、ある特定の使用のコンテクスト、哲学者がさまざまな「言語ゲーム」(つまり境界線の言語、彫刻の言語など)と呼ぶものに依る。私たちがものを使うこと、私たちがものについて語り、考え、感じること——私たちがものを表象すること——こそが、私たちがものに意味を与えるということなのである。部分的には、私たちはモノ、人、出来事に、私たち自身の解釈の枠組みによって、意味を与える。

サブカルチャーポップカルチャー

  • さまざまな「カルチャー」
    • ハイ・カルチャー=高級文化、社会的エリート(王侯貴族、宗教的権威、ブルジョワ、知識人など)の文化。
      • ドミナント・カルチャー/メインストリーム・カルチャー=ある共同体の主流を占める文化。しばしばハイ・カルチャーと同義だが、対義語は「ロー・カルチャー」ではなく、「サブカルチャー」になる。
    • ポピュラー・カルチャー=民衆文化。近代に限らない被支配層の文化。以下の諸文化の上位概念。
    • 「「ポピュラー・カルチャー」という語は、日本語で言う「民衆文化」とほぼ同義であり、本稿ではハイ・カルチャー、エリートの文化ではない、フォーク・カルチャー、マス・カルチャー、カウンター・カルチャー、そしてポップ・カルチャーを含む上位概念として使用していく。「マス・カルチャー」は、すなわち「大衆文化」で、大量生産され、大衆によって大量消費される文化のこと。これは明らかに近代以降の歴史的存在であり、時にはハイ・カルチャーをも取り込むこともある。「サブカルチャー」は、社会における主流のドミナントな文化に副次的に存在する文化のことで、それは、年齢、ジェンダーセクシュアリティエスニシティ、階級、さらには趣味や嗜好による独自性を持った諸集団——「大衆」という画一的枠組みにはまらない——によって担われるものとする」。(佐藤守弘「消費文化への両義的な対処法──マスメディア時代の「ポップ」再考、UNPOPULAR POP報告書 – UNPOPULAR POP、pp.160-184)」
    • 「そもそも、同じポピュラー・カルチャーに分類されてはいても、フォーク・カルチャー(民俗文化)と近代的なマス・カルチャー(ひいてはポップ・カルチャー)は、定義上、相容れないものと考えられていた。本来は小さなコミュニティで共有されていたフォーク・カルチャーは、近代の都市におけるメディアの変容によって登場するマス・カルチャーに征服されてしまい、真正な文化財と して保存されるしかない運命を辿ったとされる。ちなみに「定義上」と書いたのは、その考えがクレメント・グリーンバーグなどが考えたように古いものであり、たとえば現代の民俗学の最前線 ──菊地暁『民俗学入門』(岩波新書、二〇二二)に見られるような──では、フォーク・カルチャーを必ずしもそのように捉えているとは限らないからである」(佐藤守弘「民謡クルセイダーズ——矛盾の肯定」同上、p.124)

https://satow-morihiro.hatenablog.com/


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19年度前期芸術学A視覚文化論デザイン論特講1デザイン理論特講(大学院)/a> 講演、特別講義など

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